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「海が見られる目玉ぁ?」
英太郎は片眉を上げて左之吉を見た。
「あるんだろ? それくらいのモン」
左之吉は何気ない調子で言う。
「このばーさんがさ、あっち逝く前に海が見たいんだとさ。目玉のひとつくらい貸してくれよ」 左之吉の横には、腰の曲がったおえんが立っている。おえんは、二人の会話も気にならない様子で、足下の大きな桶の中を物珍しげに眺めていた。
土間に置かれた五つの桶には、どれも水が張られている。そして、その中を泳いでいるのは何十個もの「目玉」だった。目玉は一個ずつ、瞳の色も大きさも違う。白い神経の尾をくねらせて水の中を泳ぐ様子は、まるで金魚のようだ。
左之吉がおえんを連れてきたのは、三途の川のほとりの目玉売り屋だった。店の主人の英太郎は左之吉の友人で、同居人でもある。
英太郎が売っている目玉はあやかしの目玉だ。しばしば不思議な力が宿っていたりする。海を見る事が出来る、千里眼のような目玉もあるのではないかと左之吉は思ったのだ。
「人間には目玉はやらねぇよ。おろくの件で懲りたからな」
左之吉の期待に反して英太郎はにべもなく言った。
「何だよ、ケチ臭ぇなぁ」
左之吉は不満げに口を尖らせた。
「なぁ、お婆さん、あんた海が見たいのかい?」
英太郎はそんな左之吉を無視して、傍らのおえんに問いかけた。
「えぇ、最期に一目だけでもって思いましてね」
「うちの店の目玉を貸してやる事は出来ないが、海を見る方法はある」
英太郎は立ち上がって、店の棚からびいどろで出来た水盤を持ってきた。そして、水盤の中に水差しで静かに水を注ぐ。
「さぁ、この中を覗いてみな。あんたの見たい海を心に思い浮かべながら」
差し出された水盤を、おえんは言われた通りに覗き込む。透き通った水盤の中で、水がきらきらと輝きながら微かに揺れている。
不意におえんは右の目にむずがゆさを覚えた。ぱちぱちと瞬きをする。その拍子に右の目玉が眼窩から外れ、ぼとん、と水盤の中に落ちた。おえんは左の目で、水の中に沈む己の右の目玉を見た。
おえんの意識が次第に朦朧としてくる。気がつくと、おえんは自分の意識が右の目玉そのものになって水の中にあるのを感じた。
水はどこまでも広がっている。ここはもう小さな水盤の中ではない。海だ、とおえんは思った。
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