一話、 交通事故

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 ただでさえ、澪は亜季ほどしっかりしているわけでもなければ、勉強ができるわけでもない。それを自覚しているから、将来についても自由に選び、やりたいことをやるわけにはいかない。行き当たりばったりな選択をして、失敗などできないのだ。  そう思うものの、あえて言葉にし、亜季に口答えするような真似はしなかった。そんなことをしても無駄だと、骨身に染みて分かっているからだ。  澪が口喧嘩で亜季に勝てた試しは、生まれてから一度もない。さすが弁護士というべきか、亜季は口が立つ。澪が何か言い返しても、すぐに理路整然とやり込められてしまうのだ。それはもうコテンパンと言っていいほど、まったく歯が立たない。亜季にすれば、娘の口ごたえを封じるなど、赤子の手を捻るより簡単だろう。  別に亜季を言い負かしたいわけではないので構わないけれど、少しはこっちの言い分も分かってくれればいいのに――そう思うことはある。 「こーら、そんな座り方して。パンツ見えるわよ」   亜季は体育座りをしてむくれる澪を横目で見ながら注意した。 「見えないよ、向こうからじゃ。それにトンネルの中じゃん」  澪はぷいっと、そっぽを向く。  澪の学校は自宅から電車とバスを使って一時間ほどの、山を二つ越えた先にある。それが最近、直通の自動車道が開通し、トンネルを通れば二十分ほどで行き来ができるようになった。亜季が車を走らせているのも、まさにその自動車道だ。亜季は制限速度ちょうどで車を飛ばしていく。この調子だと家まですぐだろう。澪はそう思って、すっかり安心していた。  ところがトンネルを抜けた途端、バケツをひっくり返したような雨が襲い掛かってきた。雨などという生易しいものではない。滝の水をそのまま浴びているような、激しい土砂降りだ。  あまりにも激しい雨足のせいで外は暗く、視界も悪い。山ひとつ越えただけで、こうも天候が変わるものかと澪は息をのんだ。  「なんだか暗いわね」  亜季もそう呟いて、車のヘッドライトを点灯させる。ワイパーが忙しなく動き始め、フロントガラスに叩きつける雨を拭っていくが、それもほとんど効果がない。右往左往するワイパーをあざ笑うかのように、雨は容赦なく降り続ける。  危険だと判断したのだろう。亜季はブレーキを踏むと、緩やかにスピードを落とした。そして左カーブを曲がった時だった。  視界いっぱいに大きなトラックが広がる。  亜季が運転を誤ったのではない。向こうが突っ込んできたのだ。 「―――え? ちょっ……!」  驚き、咄嗟にハンドルを大きく切る亜季。 「お母さん!」  澪は叫んだ。  車体が激しく揺さぶられる。次いで、凄まじい衝撃。  金属と金属が擦れあう、悲鳴にも似た摩擦音。  すべてが一瞬だった。  澪はそのまま意識を失った。     
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