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「ここは茶店か何かかな」
「いえ、茶店ではありませんが……何か飲まれますか」
「ああ、助かるよ。結構大きな街だろう? あちこち歩いたんだが……なかなか休める場所が無くてね」
武雄がほっとひと息ついていると、着物の男はカウンターに移動し、湯のみを用意しはじめた。
「それは大変でしたね。表通りにいろいろ店がありましたでしょう。大抵のお客さんは、あちらに行かれますよ」
武雄もここへ来る途中に、賑やかな通りがあったのを思い出す。華々しい提灯に露天の数々。路地を埋めつくす大勢の客。まるで祭か縁日でもやっているような騒ぎだった。
「ああうん、見たよ。見たけどね、年のせいかな。何となくあっちには気が向かなかったなあ。……ああどうも」
武雄は軽く手刀を切ると、運ばれてきた湯のみに口をつける。お茶は程よいぬるさで、のどが渇いていた武雄は一気に飲みほしてしまった。
「ところで……ここはどういう街なの? 僕も金沢とか箱根とか草津とか、有名な観光地にはあちこち行ったけど、何処とも違うね。何というか……独特の雰囲気を感じるよ。懐かしいって言うかね」
「懐かしい、ですか」
ここは不思議な街だった。一見すると古い町家そのものだが、細かい部分を見ていくと、奇妙に目を引くものがあるのだ。
立ち並ぶ店の看板にはところどころ、おかしな模様が描かれている。日本語と似てはいるものの、明らかに違う文字。それがひらがなやカタカナ、漢字と入り混じり、読めそうで読めない。
それだけではない。
屋根の上の、見たことも無い不気味な鬼瓦。家々の門の両脇に張られた、おどろおどろしい魔よけのようなお札。色落ちたポスターは壁から剥ぎ取られ、何を告知していたのかも分からない。
ぎょっとしたのは道端の石像だ。まるで妖怪のようにぎょろりと目を剥いて、大きな口からは禍々しい牙がのぞいている。その石像はありがたい神様のように手入れがされ、お供え物も置いてあるのだ。街の人に大切にされているのだろう。よく見ると、妖怪のような顔もどこか憎めない愛嬌がある。
軒下につるされた提灯は、大きさや色、形、模様が区画によってさまざまで、ここの住人にとって何か重要な意味があるのだろうかと、想像をかき立てられずにはいられない。
還暦を過ぎ、ちょっとやそっとでは動じなくなった武雄も、童心に返ったかのように好奇心をくすぐられる。どこにでもある街のはずなのに、新たな発見をするたび、まるで異国の地を訪れたかのような感覚になってくる。
どこかで見たけれど、どこにも無い風景。そんな比喩が、ぴったりだ。
最初はどきりとしたり、ぎょっとすることもあったが、街に慣れるにつれ、そういった抵抗感はどこかに消えてしまった。今では妙な懐かしさと居心地の良さを感じるほどだ。
ただ、違和感を覚えることもある。この街は、不自然なほど人通りが無いのだ。一部の賑やかな通りを除くと、住んでいる者がいないのかと思うほどだった。
――そして。
「それがね……恥ずかしい話、ここまでどうやって来たか覚えてないんだ。帰りたいんだけども、道が分からない」
武雄は頭を掻いた。
気がつけば、この街にいたのだ。バスで来たのか、電車を使ったのかすら、覚えていない。そんなことも忘れるほど耄碌(もうろく)のしたつもりはないが、やはり齢には勝てないのか、と苦々しく思う。
さぞ気の毒な年寄扱いをされるだろうと覚悟していたが、着物の男はそういった素振はまったく見せなかった。
「ここは幻朧街(げんろうがい)ですよ。狭間の街と呼ばれています」
「……へえ?」
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