幻朧街(げんろうがい) 前半

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「――この世とあの世の狭間の街。死者の訪れる街でもあります。訪れるのは死者のみ……と言っても、過言ではないでしょう」  その言葉に、武雄の白髪交じりの眉は跳ね上がる。 「この世とあの世……? 死者ってことはつまり――」 「ええ、あなたは亡くなられているということです」  一瞬、ポカンとするものの、すぐに武雄はあごを撫でながら、しきりにウンウンと頷いた。 「そうか……死んじゃったのか。最後の記憶が家の近所だったから、散歩中に倒れちゃったのかな……。そうか……僕は死んじゃったのか」  その段になって、ようやく記憶が甦ってきた。  武雄は体力作りのため、毎日一時間ほど散歩をすることにしていた。近所の公園や川の土手沿いなど、気に入ったコースを歩くのだ。  ようやく春の暖かさを感じるようになったあの日。いつものコースをいつものように歩いて、家に戻る途中だった。住宅地の細い通路で突然、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚がした。それに合わせて、息も徐々に苦しくなってゆく。  これはいけないと思った、次の瞬間だった。まるで大きな丸太で打ち抜かれたような、ずしんとした衝撃が胸に走った。とても立っていられず、その場で膝をついたのを覚えている。  あとの事はよく分からない。かすかに記憶にあるのは、異変に気づいて近寄ってくる通行人の大声や、あわただしい足音だ。  ――大丈夫ですか? すみません、救急車! 誰か、救急車を………  そうだ、思い出した。確かに自分は死んだのだ。良かった、呆けていたわけではないのだ、とほっと胸をなで下ろす。  武雄は着物の男から突きつけられた死亡宣告を、天気予報を告げられた時のように、自然と受け止めることができた。怒りも悲壮感も、悔しさすら無い。それが何故なのか分からない。何故なのだろうという疑問すら、湧かなかった。  武雄はふと思い出したように顔を上げる。 「そういえば、この店が何なのか聞いてなかったね」 「ええ、説明がまだでしたね」  着物の男は頷く。 「――人間は煩悩の塊というでしょう。大抵の人は死んだ時に欲もきれいさっぱり無くなるものですが、時折、強い《未練》を持った者が出るのです。幻朧街はそういった死者の《未練》を祓う場所でもあるのですよ。気持ち良くあの世に渡って頂くために、ね」 「ふうん……《未練》、ねえ」  武雄は相槌を打つ。着物の男の話は続いた。 「《言伝屋》というのは文字通り、伝言を残すための店ですよ。死んでもなお、誰かに想いを伝えたい。そういう想いを、文にしたためて残すのです」 「それは必ず相手に届くのかい?」 「ええ、届きます。毎回きちんとこの店で手渡ししていますよ」 「でも、ここは死者の訪れる街なんだろう? じゃあ、もし私が誰かに宛てて手紙を書いたとして、相手が手紙を受け取るのは死後、この街を訪れてからって事じゃないのかい?」  武雄は思わず強い調子で言ってしまったが、着物の男――《言伝屋》はあっさりと受け流す。 「そうですね。ですから緊急の要件など残しても、相手の為にならないかもしれません。……ですから、伝言を残されるかどうかは書き手の判断次第、ということになります」  《言伝屋》の説明はすらすらと淀みがない。こういう話をするのに慣れているのだろう。
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