宝瓶宮

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宝瓶宮

流れ落つる雪解けの水 移ろぐ空の遥かな夜色 この世のどこにも亡くどこにでも在る 小さな器に閉じ込められた揺らぐ宝石 覗けばいつでも輝いて 外へ出たいとばかりに溢れだす わがままで大人しくて怒りんぼうでとても優しい たった独つのお友達 どこにも行けない自分を 鏡のような煌めく世界に映して 馬鹿みたいに嗤う遊び いつだって水はお喋りで無口 寒々しい世界に(いろ)を呼び出す たった独つの家族 こんなにもつまらない世界なのに たった一つ水面の(あかり)が そこにあるだけで空の気配も変わってしまいそう こんなにも美しくて優しいのだから あまりにも綺麗すぎて眩しくなってしまうから いつもは闇で目隠しして 何も見えなくしているの 希望なんてないと 分かるまで分からないように いつもは光で目を背けて 何も聴こえなくしているの 願望なんてないと 教えるまで教えないように 駄目な自分も嫌な自分も 目を隠すようにしているの 水の声に耳を澄ます その瞬間だけ目を通す 明るい星に目を透すの それがとっても楽しいから いつしか外が恋しくなって 水の相手じゃ物足りなくて 懐かしい人がいた気がするの 会いたい人がいた気がするの 思い出せないよねえ、誰だろうねぇ 水に映る私はまた 闇で(こころ)を閉ざしている 溢れ揺れる水面の世界 虚ろぐ灯の仄かな闇色 記憶の彼方へ逝ってしまった思い出も (あなた)と一緒ならこのまま一生忘れていられる気がするよ 瓶を覗き込んで 指先で波の綾をすくいあげる ほどけた綾は 糸みたいにするすると落ちていく あっけない綾は 砂みたいにさらさらと落ちていく 気づくと両手ですくっていた パシャン、シャラン 小さな歌声 水が壊れて手のひらへ それでも水は小さな隙間から 零れて溢れてすり抜ける ああ虚しくなる ぎゅっと心を抱きしめる 心の遠くへ逝ったはずの思い出は なんだかもうそろそろ思い出せる気がするよ なのに嬉しいんだ、不思議だね 瓶の中に宝石が輝く (さそ)うように(いざな)うように 輝くガラス製の光を吸って あなたはまるで惑星だ 私の中ではとっても大きくて輝いていて なのにいつも惑わすの あなたはまるで惑星だ 遠い宇宙の果てで煌めく 今私の足元で輝く あなたは あれ おかしい もしも水が宝石(ほし)だとするならば、じゃあ ここは宇宙なんだから きっと必ず在るはずの (衛星)はどこにあるのだろう? いつも隣に居てくれる 遥か遠い太陽よりずっと近く 今までもこれからもずっと いつも傍にいてくれる そして私を守るくせして 支えるフリして どんな時も離れずにいてくれる 私は笑っていられるんだ あの人は、そうだ この世のどこにも亡いと思っていたすぐ近くに居た 命の彼方へ逝ってしまった思い出が 弾けるように蘇る 帰ってくる、心の中に 閉じていたはずの鎧を一筋の光で貫いて 居てくれる、心の中に ああ、そうだ 私は帰らなくちゃ 立ち上がり、最後にもう一度覗き込んだお友達 やっぱり星空みたいだけど星空じゃない 月が足りない鏡に 映った私の手を包んで 隣に誰かいる気がした はじめて私は微笑む この狭い世界で、たぶんはじめて 行ってきますと水を翻らせて 目隠しが外れる 闇がするすると帰っていく 触れたこともなかった扉を迷いなく開く 飛び出していく 駆け出していく そうだ (きみ)は 君の名前は。 大人しくてわがままで優しくて怒りんぼうで 自分の想いを隠しているのに 最期にかなわない希望(わがまま)を 「もう一度だけ会いたい」 なんて 敵うわけなかった 叶うわけないのに 私がばいばいって言ったとたんに あんなに怖い(やさしい)顔で怒鳴って 手が離れた瞬間 あの時が最期だと思って だけどまだ最後はやってこない 思えば私も大人しかった たった一つの居場所に何も伝えてこなかった それじゃあ 私も一度わがままになってみたい 敵いたい 叶えられたらいい 瓶を飛び出してもっと外へ 飛び出していく 駆け出していく 逢いに行く。 だって最期の言葉に一度返事をしてみたい 「私は違うよ」だって 「もう一度だけじゃ足りないよ」なんて____
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