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そのときだ。
「龍郎さん。す、すいません。あのぉ……」
清美の声がして、龍郎の肩をそっとゆさぶる。緊縛がとけた。
ハッとして、龍郎は目をあけた。清美が覗きこんでいる。
「す、すいません。トイレ、いっしょに行ってください」
四囲を見まわすが、清美以外には誰もいない。怪異も感じられない。
(夢……?)
夢にしては生々しかった。だが現に異変はない。不思議に思いつつも寝袋のジッパーをさげて起きあがった。
懐中電灯を片手に廊下へと出る。
トイレに行くには一回、外へ出なければならない。
廊下をまっすぐ歩いていくと、土間の台所があり、勝手口が真正面に見えていた。
「あっ。靴、玄関から持ってこないとね。待ってて。清美さんのも持ってくるよ」
「あ、ありがとうございます……でも、早めにお願いします。怖いです」
玄関へひきかえし、二人の靴を手に戻っていく。懐中電灯を清美に預けたので、手さぐりだ。
廊下の途中で、急に懐中電灯の明かりが見えなくなった。清美が物陰に移動でもしたのだろうか?
「おーい、清美さん? 暗くて見えないんだけど、光をこっちに向けてくれないかな?」
返事がない。
かわりに、どこからか妙な音が聞こえる。
カタタタタタ……カタカタ、カタ……。
龍郎は音のするほうをながめた。
あの書斎の方角か?
暗闇をじっと見透かすと、廊下の端から何かが転がってきた。ころころころ。ボール——いや、手毬だろうか?
てん、てん、てんと、わずかにバウンドしながら、それは龍郎の足元で止まった。よく見ようと覗きこんだ龍郎は、「わッ」と声をあげて立ちすくんだ。
それは、人間の頭だった。
月代をそった、ざんばら髪の男の生首。緑色の皮膚の、ドロンと白く眼球のにごった、死人の頭だ。
龍郎が硬直していると、台所から清美がやってきた。
「どうかしましたか?」
「いや、あの……ちょっと、懐中電灯をあそこに向けてくれないかな?」
「こっちですか?」
清美が光をさしつけたときには、すでに生首は消えていた。
「何かあったんですか?」と言うので、いたずらに怖がらせることもあるまいと、首をふる。
そのあと二人で庭に出た。
裏のトイレは思ったとおり、水洗ではなかった。今どき、くみとり式だ。長いこと使ってないようで、暗い穴のなかはカラになっている。
「ああ、これ、使うとたまるのか。近所から匂いのことで文句言われても困るなぁ。清美さんが、さっき言ってたようにしたほうがいいか」
「えっ? さっきって?」
「寝る前に」
「なんて言ってましたか?」
「えっと……」
寝る前と言ったって、ほんの一時間か二時間前のことだ。たっぷり一晩、寝たわけじゃない。
清美はもう忘れてしまったのだろうか?
「いや、その……」
「じゃあ、ここで待っててください」
こう言ってはなんだが、日本昔話に出てきそうな古い木造の厠は、男の龍郎が見ても、用を足すどころか失禁してしまいそうな迫力がある。とにかく真っ暗だし、殺人事件の現場かと思うような凄みだ。
にもかかわらず、清美は平気な顔で、そのくずれかけた小屋のなかへ入っていった。これなら、龍郎がついてくる必要はなかったんじゃないだろうか?
申しわけないが、龍郎は庭木のあいだで立ちションした。
裏庭は裏手の山と一体化した林だ。熊はともかく、猿や狸くらいなら迷いこんでくるだろう。
どこからか、ヒイイッ、ヒイイッと女の泣き声のようなものが聞こえてくる。風の音だろうか? 三月とは言え、まだ風は強い。
清美さん、遅いなぁと思いながら待っていると、母屋のあたりが、ぼうっと光った。丸い青白い光が等間隔にならんでいる。光は壁や柱など建物の影に黒くさえぎられている。どうやら、屋敷の表側が光っているようだ。
「清美さん。まだかな?」
声をかけるが返事がない。
「清美さん? なかで倒れてないよね? 返事してくれないかな?」
返事がない場合、安否を確認してみたほうがいいかもしれないと思っていると、とつぜん、背後でカサリと音がした。ふりかえると、清美が立っていた。
「わッ。ビックリした」
よそみしてるうちに出ていたようだ。
「なんだ。言ってくれたらよかったのに。清美さん、あの光、何かな? ちょっと玄関のほうにまわってみてもいい?」
清美がうなずくので、庭を通って表口へまわっていく。玄関横の広間の縁側あたりが光っている。まるで青白い提灯を等間隔に置いたように、いくつもの光がならんでいる。
さっきの手毬のことがある。そこに何があるのか、なんとなく予想はついた。
近づいてみると、やはりだ。縁側に生首がならんでいる。無念の表情で斬首された首である。
(くそッ。悪魔の仕業だな。おれたちを怖がらせて家から追いだしたいのか?)
しかし、反撃したくても本体がわからないと手の打ちようがない。試しに右手を生首にかかげると、熱で溶けたボールのように歪んで消えた。
広間に何かあるのだろうか?
龍郎は靴をぬいで縁側から家のなかに入った。
「清美さん。懐中電灯を貸して」
手を伸ばしたが、清美は無表情なまま立ちつくしている。なんだか、ようすがおかしい。
「清美さん?」
妙な三白眼で龍郎をにらんでいた清美が、とつじょ襲いかかってきた。
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