第15話 空家の怪

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 そのときだ。 「龍郎さん。す、すいません。あのぉ……」  清美の声がして、龍郎の肩をそっとゆさぶる。緊縛がとけた。  ハッとして、龍郎は目をあけた。清美が覗きこんでいる。 「す、すいません。トイレ、いっしょに行ってください」  四囲を見まわすが、清美以外には誰もいない。怪異も感じられない。 (夢……?)  夢にしては生々しかった。だが現に異変はない。不思議に思いつつも寝袋のジッパーをさげて起きあがった。  懐中電灯を片手に廊下へと出る。  トイレに行くには一回、外へ出なければならない。  廊下をまっすぐ歩いていくと、土間の台所があり、勝手口が真正面に見えていた。 「あっ。靴、玄関から持ってこないとね。待ってて。清美さんのも持ってくるよ」 「あ、ありがとうございます……でも、早めにお願いします。怖いです」  玄関へひきかえし、二人の靴を手に戻っていく。懐中電灯を清美に預けたので、手さぐりだ。  廊下の途中で、急に懐中電灯の明かりが見えなくなった。清美が物陰に移動でもしたのだろうか? 「おーい、清美さん? 暗くて見えないんだけど、光をこっちに向けてくれないかな?」  返事がない。  かわりに、どこからか妙な音が聞こえる。  カタタタタタ……カタカタ、カタ……。  龍郎は音のするほうをながめた。  あの書斎の方角か?  暗闇をじっと見透かすと、廊下の端から何かが転がってきた。ころころころ。ボール——いや、手毬(てまり)だろうか?  てん、てん、てんと、わずかにバウンドしながら、それは龍郎の足元で止まった。よく見ようと覗きこんだ龍郎は、「わッ」と声をあげて立ちすくんだ。  それは、人間の頭だった。  月代(さかやき)をそった、ざんばら髪の男の生首。緑色の皮膚の、ドロンと白く眼球のにごった、死人の頭だ。  龍郎が硬直していると、台所から清美がやってきた。 「どうかしましたか?」 「いや、あの……ちょっと、懐中電灯をあそこに向けてくれないかな?」 「こっちですか?」  清美が光をさしつけたときには、すでに生首は消えていた。 「何かあったんですか?」と言うので、いたずらに怖がらせることもあるまいと、首をふる。  そのあと二人で庭に出た。  裏のトイレは思ったとおり、水洗ではなかった。今どき、くみとり式だ。長いこと使ってないようで、暗い穴のなかはカラになっている。 「ああ、これ、使うとたまるのか。近所から匂いのことで文句言われても困るなぁ。清美さんが、さっき言ってたようにしたほうがいいか」 「えっ? さっきって?」 「寝る前に」 「なんて言ってましたか?」 「えっと……」  寝る前と言ったって、ほんの一時間か二時間前のことだ。たっぷり一晩、寝たわけじゃない。  清美はもう忘れてしまったのだろうか? 「いや、その……」 「じゃあ、ここで待っててください」  こう言ってはなんだが、日本昔話に出てきそうな古い木造の(かわや)は、男の龍郎が見ても、用を足すどころか失禁してしまいそうな迫力がある。とにかく真っ暗だし、殺人事件の現場かと思うような凄みだ。  にもかかわらず、清美は平気な顔で、そのくずれかけた小屋のなかへ入っていった。これなら、龍郎がついてくる必要はなかったんじゃないだろうか?  申しわけないが、龍郎は庭木のあいだで立ちションした。  裏庭は裏手の山と一体化した林だ。熊はともかく、猿や狸くらいなら迷いこんでくるだろう。  どこからか、ヒイイッ、ヒイイッと女の泣き声のようなものが聞こえてくる。風の音だろうか? 三月とは言え、まだ風は強い。  清美さん、遅いなぁと思いながら待っていると、母屋のあたりが、ぼうっと光った。丸い青白い光が等間隔にならんでいる。光は壁や柱など建物の影に黒くさえぎられている。どうやら、屋敷の表側が光っているようだ。 「清美さん。まだかな?」  声をかけるが返事がない。 「清美さん? なかで倒れてないよね? 返事してくれないかな?」  返事がない場合、安否を確認してみたほうがいいかもしれないと思っていると、とつぜん、背後でカサリと音がした。ふりかえると、清美が立っていた。 「わッ。ビックリした」  よそみしてるうちに出ていたようだ。 「なんだ。言ってくれたらよかったのに。清美さん、あの光、何かな? ちょっと玄関のほうにまわってみてもいい?」  清美がうなずくので、庭を通って表口へまわっていく。玄関横の広間の縁側あたりが光っている。まるで青白い提灯を等間隔に置いたように、いくつもの光がならんでいる。  さっきの手毬のことがある。そこに何があるのか、なんとなく予想はついた。  近づいてみると、やはりだ。縁側に生首がならんでいる。無念の表情で斬首された首である。 (くそッ。悪魔の仕業だな。おれたちを怖がらせて家から追いだしたいのか?)  しかし、反撃したくても本体がわからないと手の打ちようがない。試しに右手を生首にかかげると、熱で溶けたボールのように歪んで消えた。  広間に何かあるのだろうか?  龍郎は靴をぬいで縁側から家のなかに入った。 「清美さん。懐中電灯を貸して」  手を伸ばしたが、清美は無表情なまま立ちつくしている。なんだか、ようすがおかしい。 「清美さん?」  妙な三白眼で龍郎をにらんでいた清美が、とつじょ襲いかかってきた。
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