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「清美さん! 何するんだッ?」
清美は目をギラギラ輝かせて両手をつきだしてくる。
やっぱり、ふつうじゃない。
まるで何かに取り憑かれているかのようだ。
龍郎は清美の両手を手首でつかんで、攻撃をとどめる。ものすごい力だ。龍郎の力に女の細腕で拮抗している。とがった爪が龍郎の目を狙う。
「清美さん! やめてくれ!」
「よくも……わたしは…………のに……」
「清美さん!」
清美がまともじゃない。
何かにあやつられている。
このままでは目をつぶされる。
だが、清美の腕力を押さえこめない。
そのとき、龍郎は思いついた。
清美はショゴスを持っている。亡くなった叔父の形見の品だ。肌身離さず御守りがわりにしているのだ。今も所持しているに違いない。
(ショゴスがおれの命令に従うか?)
思案している猶予はない。
龍郎は叫んだ。
「ショゴスに命ずる! 清美さんの両手足の自由を束縛しろ!」
清美のパジャマのポケットから、ズルンと毛布のように巨大なドロドロしたものがとびだした。緑色のスライムだが、ときおり、ふとした瞬間に人形になる。ショゴスだ。
ショゴスはズルッと紐状にひろがると、清美の肩から下を自分の体でグルグル巻きにした。
(あれ? 言うこと聞いたぞ)
とにかく、チャンスだ。
龍郎は清美をそこに寝かせた。清美は何かブツブツとつぶやいている。「あれが憎い」とか、「祟ってやる」などと言っている。どうやら、清美はこの家に巣食う悪魔に取り憑かれているようだ。
「おい、おまえ。名前はなんていうんだ?」
「…………殺してやる」
ダメだ。話にならない。会話はできない。
懐中電灯をひろうと、清美を縁側に転がしたまま、悪魔の本体を探しまわった。
あの音が強まっている。
カタカタ……カタタ……カタ、カタ、カタン——!
聴覚をとぎすまして、音源をたどっていく。
広間のなかではない。続きの間も違う。廊下に出ると、書斎にむかうほうから音が聞こえる。
(書斎? いや、違う。もっと近い……)
わかった。床の間だ。あの床の間のある六畳の和室から音がする。
龍郎は勢いよく襖をあけた。室内は無人。懐中電灯で床の間を照らすが、異変はない。床の間のとなりの違い棚も静かに埃をかぶっているだけだ。
だが、音はする。
カタカタ。カタカタ。硬質なものどうしが、振動でふれあう音だ。
龍郎は部屋中を見まわした。
そして、奇妙なことに気づく。
部屋のすみに意匠の美しい古い和箪笥がある。その一番下のひきだしだけ、引き手の金具が揺れている。とくに風もないし、地震が起こっているわけでもない。それなのに、一番下の金具だけが、カタカタ、カタカタ、音を立てて揺れ動いている。他のひきだしの金具は微動もしていないのに。
龍郎が箪笥の前に立つと、金具はさらに激しく鳴った。
なんだか、このなかから異様な気配がする……。
思いきって、金具に手をかけた。なかのものが歓喜するような力の流動が、金具を通して感じられた。ぐッと両手に力をこめて、ひきだしをあける。
すうっと引きだすと——
「刀だ……」
禍々しい。
邪気をはらんだ日本刀が一振り。
鞘をはらうと、懐中電灯の薄暗い光のなかでさえ、美しい刃文がヒヤリと冷気をまとって輝く。乱れ刃。片落ち互の目のようだ。備前長船景光か。あるいは、兼光。
景光は龍郎の実家にも、先祖の遺した名刀として伝わっている。が、これは、どこか違った。
名は知れないが、まぎれもない妖刀だ。邪悪な気が刀身からあふれて視覚化されている。
これだ。まちがいなく、この家の怪異は、この刀のせいで起こっている。
足音が近づいてきた。
龍郎がふりかえると、あけっぱなしにした襖のすきまから、男が覗いていた。裃袴姿の武士だ。だが、目つきがおかしい。
「お清はどこだ?」
そう言うと、龍郎の手から妖刀を奪おうとした。
とっさに龍郎は、右手で男の顔をつかんだ。男は叫び声をあげた。ひるんだすきに妖刀をふるう。肩から袈裟懸けにふりおろすと、男の姿は消えた。
すると、いつのまにか廊下に清美が正座していた。涙を流している。
「清美さん?」
「ありがとうございます。これで思い残すことはございません」
廊下に頭がつくほど深くおじぎをし、清美はそのまま失神する。憑いていたものが去ったらしい。
家のなかの気配も感じられなくなった。
*
翌日。
ようすを見にきた三宮を問いつめた。
彼が白状したところによると、ここは昔、罪人の首をはねていた武士の家だったらしい。人の首をはね続けていた男は、あるとき急に気が狂い、妻を殺して自害したのだという。
「……すいません。やっぱり、この家、買いませんよね?」
三宮は泣きそうだ。
「買いません!」と、清美は即座に返答した。が、龍郎の考えは違う。
「なら、おれが買うよ。二百万だろ? トイレはリフォームしないとなぁ。水洗にしないと」
「えッ? 買うんですか? いいんですか?」
「ここなら三人でも暮らせるし、車も置けるし、多少さわいでも、まわりに迷惑かからないのもいいね」
じっさいには、すでに悪魔がいなくなったから、家のなかで奇怪なことは二度と起こらないだろう。でも、それを言うと資産価値が上がってしまう。今なら、二百万。お買い得ではないかと思う。この敷地の広さなら、土地代だけでも、そのくらいはする。
「ええッ? 三人って、わたしも住むんですか?」
「いやなら、清美さんは、おれが借りてるアパートに残りなよ」
「うーん。そう言われると、さみしいような」
「じゃあ、いっしょに住もう」
「はい」
清美は昨夜のことを覚えているのだろうか? 自分が悪魔に取り憑かれていたときのことを?
(青蘭も自分のなかに魔王を飼ってる。青蘭と清美さんは従兄妹だ。もしかしたら、憑依体質の家系なのかもしれない。たぶん、清美さんの能力は、それに関係してるんだ)
そんなことを思案しながら、アパートに戻った。
玄関のドアをひらくと、青蘭が布団のなかで泣いていた。帰ってきた龍郎たちを見て、青蘭はあわてふためく。しかし、ごまかしようはなかった。清美のダンボールがあれもこれも開けられて、今しもそのなかの一冊を読みながら、青蘭は涙を流しているのだ。
「……青蘭、もしかして、それが読みたくて留守番したの?」
「違いますよ……」
「じゃあ、なんで泣いてるのかな?」
「だって、僕に似た子は、みんな最後には不幸になるんだ。死んだり、好きな人と別れたり、捨てられたり……」
「おれは捨てないよ?」
「うん」
まったく、いつも、とびっきりにキュート。青蘭は龍郎の心を射抜く天才だ。
「さあ、おれたちの新しい家が決まったよ。ちょっとリフォームが必要だけど、静かで、いい家だ」
引っ越しは、もう少しさきになるだろう。
了
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