第16話 迷宮の扉

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第16話 迷宮の扉

「じゃあ、清美さん。留守番、頼みます」 「はーい。お二人が帰ってくるまでに、引っ越し業者さん呼んで、ダンボール移しときますねぇ」  三月のなかば。  龍郎は青蘭と二人、旅立った。  熊本までは例のごとく、軽自動車で。  問題は、そこからさきだ。 「薩南諸島の南東って、船がいるよね? もちろん、フェリーなんかは出てないんだろ?」  熊本城を観光して駐車場に帰ってくると、青蘭はさっそく、助手席に残しておいた、お気に入りのユニコーンのぬいぐるみをかかえる。  出会ったころにくらべたら、ずいぶん印象が子どもっぽくなった。  しかし、それも過去のトラウマによるものなのだろう。  この旅に出ると言いだしたころから、青蘭はユニコーンを抱いていないと寝られないようだ。 「フェリーどころか、今じゃ無人島ですよ。僕は十六まで、あの島にいたんです。そのあとは診療所も閉鎖させたし……」 「ちょっと待って。その島って、青蘭が子どものころに住んでた屋敷があった場所なんだろ?」 「そうですよ。そのあと、怪我をした僕のために、祖父が診療所を建てたんです。きっと、僕を島の外に出したくなかったんですね。だから、僕は義務教育も受けたことがないんだ。教科ごとに雇われた家庭教師が教えてくれた。祖父が死んだときに、僕はやっと島から出ることができた。初めて、世界は広いんだと知った」  淡々と青蘭は語るものの、それはかなり特殊な生い立ちだ。青蘭が島に帰ることを嫌がるのには、そのへんにも原因があるのかもしれない。  龍郎は青蘭を気づかって、言ってみた。 「青蘭。どうしてもツライなら、おれだけで行ってみようか? おれも賢者の石が体内にあるんだ。きっと、その場所に何かがあるのなら、反応すると思うんだ」  が、青蘭は首をふる。 「あの場所で、僕はいつも一人でふるえていた。でも、今は一人じゃないよ。そうでしょ? 龍郎さん」  まただ。また、心臓をわしづかみにされた。青蘭の甘えるように潤んだ瞳に見つめられるだけで、龍郎の心臓はとろけてしまう。目があうたびに毎回これでは、身がもたない。 「……ああ。ずっと、いっしょだよ」  車のなかでキスをしていると、とつぜん、コツコツと窓を叩かれた。助手席側の窓だ。  いいところで誰だよ。駐車違反じゃないぞ——と思いながら目をあけると、窓の外に男が立っている。年齢は三十前後。やけに若白髪が目立つが、顔は妙に童顔だ。すごくイケメンというわけではないが、妙に人なつっこく見える。  見ず知らずの人だ。  制服を着ているわけでもないし、ポリスマンではない。  龍郎は痴漢だろうと思った。  こんな人目のあるところで、クレオパトラより数段、美しく妖艶な青蘭とくちづけをかわしていたのだから、じろじろ見られてもしかたない。  龍郎はそのままエンジンをふかして発車させようとした。しかし、そのとき、青蘭のようすに気づいた。青蘭はなんだか青い顔をして、がくぜんとしている。  童顔の男は笑いながら、何やら話している。窓をしめているので、よく聞こえないが、青蘭の名前を呼んでいるようだ。 「青蘭。知りあい?」  たずねると、妙にさぐるような目つきで、青蘭は龍郎をながめる。それはまるで、青蘭の心のなかで、遠い過去と現在の重みを天秤にかけているかのようだ。陽光のなかで瑠璃色に透ける青蘭の瞳に、悠久の時の流れがたゆたっている。 「……僕を診てくれていた、先生の一人です」  医者か。それなら、痴漢というわけではない。  しかたないので、龍郎はパワーウィンドウのスイッチを押して、助手席側の窓をおろした。  男はニコニコ笑いながら、なかを覗きこんでくる。 「やっぱり、青蘭だ。ひさしぶりだね。まさか君がこんなところにいるとは思わないから、自分の目を疑ったよ」 「最上(もがみ)先生……」 「やだな。昔みたいに、耀大(ようた)って呼んでくれよ」 「…………」  青蘭はうつむく。  すると、男の目が急にキラッと光った。龍郎は油断のならないものを、その目の色に見た。 「そっちのが、新しい彼? これまでのなかで一番イケメンなんじゃないか? でも、青蘭のこと、ほんとに知ってるの?」  バカにするような視線をなげてくる。  もう間違いない。  これは、青蘭の昔の男だ。  友人にはお人よしだと言われる龍郎だが、こうライバル視されたんじゃ、いい人ではいられない。 「悪いけど、急いでいますので、ご用がなければ失礼します」  窓をあげようとすると、青蘭がさえぎった。 「待って。龍郎さん。ちょっと、最上先生と話したいんだ」  青蘭はユニコーンを座席に置くと、外に出ていった。少し離れた場所にある桜の木の下にまで、最上と二人で歩いていく。まだ(つぼみ)の桜。そこで何やら十数分にわたって、長々と話しこんだ。  見ているかぎりでは、青蘭は困っているようだ。最上が一方的に復縁を迫っているように見える。 (待てよ。青蘭は十六まで診療所にいたと言ってたよな? そのころにつきあってたってことか? なら、青蘭はまだ未成年だ。未成年に手を出したのか? あの男)  それはまあ、青蘭が十五、六のころなら、ものすごい美少年だったろう。今だって、そこらの美女なんて足元にも及ばない美形だが、成育途上の未発達な青蘭は、まごうかたなき妖精のような美貌だったに違いない。  誰だって惹かれる気持ちはわかる。だからと言って、未成年に性的関係を迫るのは犯罪だ。  そんなことを考えていたせいか、妙にイライラする。いや、妬いてるなという自覚は、龍郎にもあったのだが。  車内からながめていると、青蘭がこっちにむかって、ひきかえしてくる。その手を最上がつかんだ。そして、抗うそぶりを見せる青蘭を抱きとめ、唇をかさねた。
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