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そのころ、青蘭はまだ熊本市内のホテルにいた。
ベッドのなかで手足をひろげ、無気力に天井を見あげている。
ひさしぶりにアスモデウスが出たようだ。ここ数時間の記憶がない。
でも、この体のほてりと倦怠感は、たった今まで自分がソレに狂っていたのだとわかる。
(どうして、こうなるんだろう? ほんとは今ごろ僕は龍郎さんと二人で、のんびり温泉にでもつかっていた。それとも、旅先の気安さで、初めて愛をかわしていただろうか? 愛なんて、信じてないけど……)
でも、龍郎の語る“愛”は、信じてみたい気がしていた。もしかしたら、この人ならと思わないでもなかった。
それなのに、けっきょく、自分は龍郎を捨て、昔の男と体だけの快楽に耽っている。以前、自分を裏切った男に身をゆだねて。
(僕に似た子は、みんな最後には死んだり、好きな人と別れたり、捨てられたりするんだ……)
まるで、最初から手詰まりの手札を配られたソリティアみたい。どこへ行っても、袋小路……。
ぼんやりしていると、となりで気絶したように熟睡していた最上が目をあけた。青蘭には見向きもしないで、冷蔵庫にとびついていく。なかから備えつけの酒瓶を出して、ラッパ飲みした。そしてトイレに行って、しばらくのち、シャワーを浴びる音がする。裸でガラス戸から出てきたあと、ようやく青蘭に視線をなげてきた。
「あいかわらず、化け物だなぁ」と、最上は侮蔑するような口調で吐きすてる。
「おまえと毎晩、こんなことしてたら、そのうち喰い殺されるよ」
最上の言葉には、わざと青蘭を傷つけようとする悪意が感じられる。
以前は最上のその言葉の力に翻弄されていた。最上の一言一言に一喜一憂し、侮辱されれば、それは棘のように深々と、青蘭の心臓につき刺さった。
でも、なぜだろう?
今は、さほど、刺さらない。
ただ、自分の愚かしさに笑いたくなった。なぜ、こんなろくでもない男についてきてしまったのだろうかと。そうせざるを得ない運命が呪わしい。
「……なら、なんで、わざわざ追いかけてきたの? たまたま見かけたんじゃないんでしょ? 僕を探してたんだ」
「君は自意識過剰だなぁ。なんで、おれが君を探さなきゃならないのかな? おれはストーカーじゃないよ」
「横領したお金を使いはたしたからでしょ? 二億か三億はあったはずだけど。また甘い汁が吸いたくなったんだ」
「バカだなぁ。そんなわけないだろ? あの金は手切れ金だよ。おまえのじいさんが、これを持って失せろと言ったんだ。おれは、おまえと別れたくなんかなかった」
「…………」
そう言われれば、信じてみたくなる。
彼が自分を裏切ったわけではないと。
なんと言っても、最上は人間の男のなかでは、青蘭の初めての相手だ。
最上は青蘭の顔を上から覗きこんでくる。青蘭の髪をなでながら、甘い声でささやく。
「おれがいなくなって、さみしかった?」
いつも、こうだ。乱暴な言葉や残酷な事実をつきつけて悲しませたあとは、優しい態度で青蘭をほっとさせる。まるで、暴力夫につくす妻の心情。最上の優しさは上辺だけだとわかっているのに、つい、よりそってしまう。
子どものころから、ずっと、みんなに裏切られ続けてきた。きっと今度もそうだと思う反面、期待してしまう。
「……さあ、どうだろう?」
つぶやくと、最上は、
「わかってる。さみしかったんだ。だから、あんなイケメンとつきあったんだろ? 綺麗なおまえと、すごく釣りあってる。でも、あいつはほんとのことを知らない。おまえが、ほんとは——」
「やめて!」
青蘭は最上の語句をさえぎった。
それ以上、聞きたくない。
最上は満足そうに笑う。
「そうだろ? あんなこと、誰にも言えないよな。おまえは化け物なんだよ。青蘭。綺麗な見ためは偽りの姿だ。ほんとのおまえは醜い化け物。おまえがクリーチャーだと知ってて、かまってやるのは、おれだけなんだよ? わかってるだろ?」
「…………」
わかってる。
龍郎だって、真実を知れば、きっと去っていく。青蘭のほんとの姿をひとめでも見れば。
だから、自ら去ったのだ。それを知られる前に。もう裏切られるのはイヤだ。捨てられるくらいなら、自分から捨てる。
「……最上さんだって、お金が欲しいだけなんでしょ? いいよ。僕の助手になってくれるなら、サラリーは払うよ」
「いくら?」
「当面、月二百万かな。特別手当は別に出す」
「ふうん。まあ、いいけど」
「じゃあ、あの場所に行こう」
「どこへ?」
「診療所のある島へ行きたいんだ。あなたに邪魔されてなければ、そこに行く予定だった」
「なんで今さら?」
「僕が化け物だから……かな」
「ふうん」
最上がどう思ったか知らない。
そのうち、こっそり、青蘭のクレジットカードか預金通帳を盗んでいなくなるつもりかもしれない。
それでもいい。
一人であの場所へ行くのは、つらすぎる。悲しい思い出ばかりに満ちた、あの場所……。
青蘭は無意識に手を伸ばしかけて、気がついた。
「あっ。ユニを忘れてきちゃった」
龍郎とすごした数ヶ月が、青蘭の脳裏をかけぬけた。
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