第63話 宇宙の色

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 アグンの実家は観光地化の進んでいない、山奥の村にあった。  お父さんはウブド周辺で個人タクシーをしていて、これがけっこう儲かる。お母さんの華絵(はなえ)さんは日本語が話せることを利用して、日本人相手の現地ツアーガイドをしている。  なので、アグンの家は周辺の村人の家にくらべて、なかなか立派だ。観光地のジャパニーズマネーが一家の暮らしを支えていた。もっとも、ここ数年、日本からの観光客は激減しているらしいが、他国の観光客が絶えることはないし、アグンや妹のプトリが就職したので暮らしむきにはゆとりがある。  アンクル・アンクルという狭い門をくぐると、敷地のなかに、いくつもの茅葺き屋根の家があった。ゲスト用のハウスまである。さらには、バリの古民家には各家庭のなかにその家の寺がある。配置には古くからの決まりがあるらしい。庭園と言ったほうがいい庭は、ヤシの木やハイビスカス、蘭の花などの庭木が南国情緒をかもしだしている。ハリネズミや鶏が飼われていた。  その夜、歓待を受けてご馳走になっていたとき、姉の夫のヌルワンの口から、例の隕石の話が出た。もちろん、ヌルワンは日本語がしゃべれない。アグンが通訳してくれた。 「あの石をひろったのは、今から二ヶ月ほど前のことでしたね。その日、私は友人の最初の子どもの誕生を祝う会からの帰り、夜遅くなってから一人で歩いていました。だいぶ遅かったので近道しようと、森のなかを通りました。すると、いやに明るいところがあるんですね。それは遠くからもネオンのように虹色に光り輝いていました。あまりにも明るいので、電気がついてるのではないかと、ヌルワンは考えたそうです。あんな場所に家なんて建ってなかったはずだと思いつつ、歩いていきました。近づくにつれて、その光はますます大きくなり、あたり一帯が昼間のようでした。その光は赤、青、黄色、緑、オレンジ、ピンク、紫、水色と、さまざまな色に変わりながら、星のようにまたたきました。不思議に思いつつ、ヌルワンは光のもとへ行きました。光の中心には、にぎりこぶしくらいのピカピカの石が落ちてましたね。あんまりキレイだったものですから、ヌルワンはそれをポケットに入れて持ち帰りました。ポケットに入れても光るので、夜道に困らなかった、ということです」  そういう前段があり、いざ、隕石が龍郎たちの前にお披露目となる。それは大きなガラスの器に入れられていた。テニスボールを真っ二つに切りわけたような半円形の石が、まんなかにチョコンと座ってる。見たところ、ただのツルッとした石だ。光ってもいないし、素材的に隕石っぽくもない。 「これ、ほんとに隕石なんですか?」 「インドネシア大学の先生が来て、珍しい石だから調べさせてほしいと言いました。それで半分に割って、半分は大学に預け、残りの半分がこのなかに入れられて返ってきたのですね」  ガラスの器はデシケーターというもので、大事なものを湿気から守る密閉容器だ。なかに入っているのは、そんなにごたいそうなものに見えないが。 「断面は下になってて見えないですね」 「そうなんです。この器、すごく固くて、あけることができないんです」  見えないが、器との密着度から言って、キレイに直線になっているだろう。  電気のように煌々(こうこう)と光っていたという話は気になるが、大気圏突入時の火が、落下直後にはまだ消えていなかったのだろう。その光をヌルワンはたまたま見かけたのだ。  龍郎は実物を見て、完全に興味を失った。だが、穂村だけはいやに興奮している。 「おおッ、これは! 素晴らしい。見事なゾル星系石物仮想体だ。こんな完璧なものは私も初めて見る。半分になってしまったことが惜しいな。残りの半分も見てみたい。そのインドネシア大学の教授に連絡はつくのかね? 春崎くん」 「つきますよ。私の恩師ですから」 「ああ、そうか。君はインドネシア大学からの留学生だったな。じゃあ、さっそく連絡をとってくれたまえ」 「明日の朝でいいですか?」 「うん。かまわん」  穂村はヌルワンから、見つけたときの話をさらに詳細に聞いている。 「じゃあ、おれたちは明日から観光でもしようか」と龍郎が言えば、 「ああっ、わたし、ゴアガジャに行きたいです! 悪魔の口なんですよぉ。神秘的! ウブド王宮でレゴンも見たいです。おサルさんにもバナナあげたいしぃ。ほんとはウルワツ寺院とか、タナロット寺院とか、タマンウジュン宮殿とかも見たいんですけど、ここからだと遠いからぁ」  清美がとびついてきた。 「じゃあ、おれたちは観光してようか。ねえ、青蘭?」 「うん」  というわけで、翌日。  龍郎、青蘭、清美はフレデリック神父の監視つきで、ウブド観光。  穂村だけが急遽、インドネシア大学の教授に会いに行くことになった。 「春崎くんにアポイントはとってもらったが、用件がすぐにすむとはかぎらないし、場合によっては二、三日帰らないかもしれない。そのあいだ、君たち、充分、あの石には注意したまえよ。いいね? あれは、なかなか油断ならんものだ」  穂村は出がけにそう言い残した。  龍郎たちは誰も本気で聞いていなかった。アグンのお父さんのタクシーを貸し切りにして、一日中、観光にいそしむ計画で頭がいっぱいだったのだ。  まもなく、後悔することになるのだが。
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