55人が本棚に入れています
本棚に追加
思わず、龍郎は「あッ」と大声をあげてしまった。
周囲の観光客や青蘭たちが、いっせいに龍郎をふりあおいだ。
妙な気がした。
あれだけ大きな音がしたのに、誰も門を見ない。それどころか、龍郎のほうをふりかえった。
あわてて龍郎は再度、割れ門を見なおした。すると、門はさっきのまま、割れた姿で立っている。未来永劫、不動のさまで。
女はいなくなっていた。
やはり、見間違いか?
(そうだよな。建造物が仕掛けもないのに動くはずないんだ。映像ならCGでそんな動きも作れるんだろうけど、今ここにある風景だもんな。おれの目がどうかしてたんだ)
そうとしか考えられない。
龍郎は首をふって、気持ちを落ちつけた。
「ごめん。なんでもないよ。ちょっと旅の疲れが出てきたのかな」
「そう? どっかで休む?」
「いや、大丈夫」
ゴアガジャ遺跡をあとにして、近くにあるティルタ・ウンプル寺院へ移動した。聖なる水の湧きでる沐浴場がある。緑にかこまれ、南国情緒がより強い。
昼食のあと、モンキーフォレストやウブド王宮にも行った。どこもエキゾチックで美しい。
龍郎はテナガザルのたわむれる森のなかの寺院が好きだ。一日中ぼんやりしていてもいい。
ゴアガジャのあとは、あの女にも会わなかった。非日常的な神秘的景色のなかで、幻でも見てしまったのだろう。そう思い、安心して観光にいそしむことができた。
「ドゥウィさん。穂村先生が帰ってくるまで、おれたちはウブドでホテルをとります。着替えなどの荷物をしばらく預かってもらってもかまいませんか?」
王宮で華麗な衣装をまとう踊り子たちの古典舞踊を見たあと、日が暮れたので、龍郎たちはアグンの父と別れることにした。
さすがにこの人数で毎晩、お世話になるのは申しわけなかったのだ。
それに、ウブド周辺には高級感のあるホテルが数多くある。ちょっと贅沢をしたかったのと、ホテルなら神父や清美とも別室をとれて一石二鳥だ。
「荷物、明日、持ってくるよ?」
「じゃあ、お願いします。そのあと、観光に行くので車で送り迎えしてもらいたいのですが」
「いいとも。じゃあ、また明日。スグン・サレ!」
「はい。また明日」
アグンの父ドゥウィも妻子の影響か、仕事のためか、そこそこ日本語が話せた。明日の約束をかわして、ホテルの前で手をふった。
王族が経営していたこともあるという高級ホテルは、西洋の文化とバリらしさが融合している。大理石の浴室や天蓋からベールのさがったベッドなど、文句なしで豪華絢爛だ。
寝室の窓からはウブドの深い森が一望にできる。
「うわぁ。すごい部屋ですね。新婚旅行みたい」と言って、清美はニタニタ笑う。
清美は腐女子だ。
どうせ、龍郎と青蘭でよからぬ妄想をふくらませているのだろう。
それに触発されたのか、青蘭の目も肉食獣のそれになっている。
今夜が思いやられる。
そんなふうに思っていたのだが、食堂で晩餐をとっているとき、電話がかかってきた。穂村からだ。
「本柳くんか? うーん、困ったことになったぞ」
「穂村先生。どうしたんですか?」
「インドネシア大学まで行ったんだが、春崎くんに紹介された教授がね」
「はい」
「私がつく直前に亡くなってしまったんだよ」
「えっ? 亡くなった? 事故ですか? それとも病死?」
一瞬の沈黙が入る。
「どう見ても病死ではないね。体が頭から股まで真っ二つにされて、天井から逆さ吊りになっていた」
食事中だった龍郎は「うッ」と声をつまらせた。できれば聞きたくなかった事実だ。
「……それって、人間業ですか?」
「いや。違うね」
「ですよね」
「だが、警察はそうは思わなかったらしくてね」
「はい」
「今、警察にいるんだ。電話だけはかけていいと言うから連絡しているんだが、このあと私は留置所に入れられるようだね」
「えっ? なんでですか?」
「いやぁ、彼ら、第一発見者の私が教授を殺したと思っているんだ。バカバカしい話だがね」
ハッハッハッと、穂村は笑う。
その状況でよく笑えるものだ。
さすが、ディーモン。
「まあ、そんなわけだから、明日の朝一番で、フレデリック神父にこっちに来てもらえるよう頼んでくれないだろうか? 神父は国際的に警察に顔がきくんだったな?」
龍郎は神父を見た。
話は聞こえていたらしく、神父がため息をつきつつ、うなずく。
「わかりました。申しわけないですが、一晩は留置所でガマンしてください」
「頼んだよ。急ぎでな。それとだな。じつはこれが重要なんだが」
話はまだ続いていた。
殺人容疑で外国の留置所に入れられること以上に重大な内容とは、なんだろうか?
「例の隕石がだね。ないんだよ。保管されていたらしいケースが壊されて、盗まれたようだ。あるいはゾス星系石物仮想体が目覚めてしまったのかもしれんなぁ。そっちに向かう可能性がある。要注意だぞ。本柳くん。ヌルワンくんにも忠告しといてくれたまえ。警官が腕をひっぱるので、私は行くよ。では!」
電話は一方的に切れた。
「……じゃあ、フレデリックさん。よろしくお願いします」
「わかった。インドネシア大学はデポック市にあったな」
「ええ。西ジャワ州のデポック市だと、出立前に穂村先生が言ってました。ジャカルタまで飛行機で行って、あとは鉄道で行くって」
神父はしかし、すぐには出ていかなかった。アツアツのインドネシア風唐揚げのアヤムゴレンを堪能しながら、龍郎と青蘭の顔をじっと見る。
「私が行くのはかまわないが、気をつけてくれ。どうも昼間から変な気配がする。くれぐれもムチャはしないように」
そう言い残し、神父は席を立った。
龍郎たちは甘い豆を煮込んだデザートを食しつつ、それを見送る。
「僕、ワルンの料理よりこっちのほうが好きだな。口にあう」
「青蘭は甘い味つけ好きだよね。おれはワルンのほうがいいかな」
ワルンは地元の料理屋のことだ。現地人のための食堂である。なので、バリ島の地元料理だ。塩辛い。
昼間、アグンのお父さんのお勧めのワルンで食事をした。
ホテルのメニューはおもにインドネシア料理で、甘いココナッツミルクなどが使われている。
穂村も神父も注意しろと言っていたものの、龍郎たちは観光気分がぬけない。遠くなる神父の背中を見ながら、そんなことを話していたのだが……。
食事を終え、部屋の前で清美とも別れた。ドアをあけると、いやでも気分が高まる、豪奢でロマンチックな室内。
「龍郎さん」
「うん」
「いっしょにお風呂入ろうよ?」
「…………」
真紅の薔薇の花弁の浮かぶ大理石の浴槽で、真っ白な肌の青蘭と抱きあう。
南国の魔法に、たっぷりと酔った。
最初のコメントを投稿しよう!