第63話 宇宙の色

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 浴室のあとはベッドでも。  情熱をそそぎあって、そのまま眠りについた。寝落ちしたと言ったほうがいいかもしれない。青蘭に求められると、よくそんなことがある。  夜中に龍郎は、ふと目をさました。  青蘭は天使のころの記憶をどこまでとりもどしたのだろう?  青蘭の想いは、ほんとに龍郎に向けられたものなのだろうか?  青蘭が生まれ変わる前、アスモデウスだったころに愛しあった恋人の天使は、今、龍郎の右手に埋まった苦痛の玉の持ちぬしだ。  青蘭が惹かれているのは、龍郎ではなく、苦痛の玉の持ちぬしだった天使なのかもしれない……。  このごろ、愛しあったあとは罪悪感をおぼえる。なんだか、他人の恋人を借りているような、そんな心地だ。  幸せいっぱいの青蘭の寝顔を見ながら、龍郎はそっと吐息をついた。  そのときだ。  窓の外に何かの気配を感じた。  そんなはずはない。  ヴィラ形式の個室は周囲を完全に各棟で隔離されている。  寝室の窓の外にはテラスとプール付きの美しいプライベートガーデンがあるだけ。さらに、ホテルの周囲は森と渓谷だ。  もしかして、観光客の荷物目当てで泥棒が柵を乗りこえてきたのだろうか?  龍郎は起きあがり、急いで服に袖を通した。さすがに裸は無防備な気がする。ぬぎすてて散らかったままの昼間の服を着て、テラスのある窓に歩みよる。足音を立てないよう用心した。  窓にはカーテンをひいてある。  日本人としてのたしなみだ。  たとえまわりが森でも、万一どこかから他人が見ているともかぎらない。  龍郎はその窓の前に立った。カーテンをつかみ、いっきに引きあける。 「うわッ!」  思わず、大声を出してしまった。  窓の外に、あの女が立っている。  昼間、ゴアガジャ遺跡で見た横向きの女だ。あのときと同じように龍郎から見て右向きの横顔を見せている。  女のささやくような声が、ガラス越しに聞こえた。 「…………て。返し……わたしの…………」  おかしい。  どうしてこの女はいつも横向きなのだろう。見かけるのは三回めなのに、いつも体の半面しか見たことがない。  今だって、なかに侵入しようとしていたのなら、室内のようすをうかがうために、窓に対して正面に立つものではないだろうか? 「……おまえ、何者だ? 何を返せと言うんだ?」  女は答えない。  ただ黙って横を向いている。  なんだか異様だ。  横向きだと、女からは龍郎の姿が見えていないはずだ。眼球だけ動かしても、視界の端でわずかに全身の一部が見えるだけ。まともな人間なら、真っ向から顔を見ようとするだろう。少なくとも一度は。  背中がゾワゾワする。  それに、変な匂いもかぎとった。 「……こっちを向けよ。何を返してもらいたいのか、おれの目を見て話せ」  思いきって、龍郎はそう言ってみた。  女は横を向いたまま、ニヤリと口唇をつりあげる。  それから、ゆっくりと女がこっちをふりかえる。顔だけじゃなく、体の向きを変え、全身を龍郎のほうに向けようとする。  ようやく、どんな女かハッキリわかる——と思ったのだが、妙な違和感があった。 (あ……れ? なんだ? やけに形が……)  真夜中なので、外は暗い。  龍郎たちの室内の明かりだけが、かすかにテラスを照らしている。だが、その照明も一番暗く落としてある。女の姿はともすれば闇に溶けこみそうだ。  それにしても、輪郭がふつうじゃなかった。人間の頭は基本的に楕円形だ。多少の形の違いはあるにしろ、球状の物体である。  なのに、女の左半面がじょじょにこっちを向いても、いっこうに右側の半面が見えてこない。深い闇に飲まれて……いや、発光源のわからない光が急に強くなった。  女は一センチかえりみるのに一分は要した。ほんとにジリジリと、気の遠くなるような時間をかけて体の向きを変える。  だから、変な光のなかで女の頭部がやけに歪んで見えても、それは光のかげんだろうと最初は思っていた。  しかし、女の向きがいよいよ正面に近づくにつれ、目の錯覚ではごまかせなくなった。  やっぱりそうだ。  女には、。  体の中心で真っ二つに裂かれたように、右側半分がキレイさっぱりない。  女が横顔しか見せなかったのは、体の向こう側がなかったからだ。  いろいろなものを見てきた龍郎だが、これにはおどろいて床に尻もちをついてしまった。  女は、くるりと背をむけた。  体が反転するとき、女の切断面が見えた。人間なら、もちろん体の半分がない状態で生きてはいない。だから、女が人でないことはわかっていた。人間が切断されれば、そこから内臓や骨がはみだしてくる。でも、女の断面は見事に直線になっていて、まるで硬質なガラスのようだ。そして、そのなかに詰まった流動的な液体のようなものが、グルグルと回転している。  その流動体は強い光を発し、青、白、黒、あるいは苔のような色へと変化する。と思えば、酸化した血のようなダークレッドにも。 (宇宙から来た石だ!)  龍郎は確信した。  ヌルワンから聞いた、森のなかで光り輝いていた隕石。  あれはこんな光を放っていたのではないかと。  龍郎が驚愕しているすきに、女は逃げだした。すべるように空中を移動し、やがて消えた。  了
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