第15話 空家の怪

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 荷物を持ってひきかえしてきたとき、すでに日は暮れていた。  前庭に軽自動車を停めると、黒くシルエットになった平屋建ての家屋が、巨大な黒猫のようによこたわっていた。  建物そのものは、ただの物質にすぎない。それはわかっている。  だが、まるでそれじたいが生き物であるかのような気配があった。見あげる龍郎たちを、ジロリと黒猫がにらんでいる——そんな感じだ。  清美がゴクリと息をのむ。 「迫力……ですね」 「そうだね。悪魔は確実にいるから、気をつけて。青蘭のお墨付きだ」 「悪魔の住む家って、なんかホラー映画で見た気がします。わたし、オバケ屋敷になんか住みたくないんですが」 「退治できればいいわけだよね?」 「うーん、まあ、いなくなったとわかればアリですね」 「じゃあ、今夜一晩、ガマンしてみようか」 「あの、わたし、必要ありました?」 「えっ? えーと……どうだろう?」  そう言われると、必ずしも清美がここにいる必要はなかった。龍郎が一人で泊まりこんで、一人で悪魔退治すればいいだけの話だ。 「……ごめん。清美さん、車の運転できるなら、これに乗って帰ってくれてもいいよ? 明日の朝に迎えに来てくれれば」 「わたし、ペーパードライバーなんですよね。教習所の先生に、路上で六十三回ブレーキふまれました。スゴイでしょ? 教習所始まって以来の新記録だって言われたんですよ?」 「えっと……たぶん、それ、褒め言葉じゃない」 「そうなんですか?」  清美を一人では帰せない。  電車は一時間に二本。バス停は探すのが大変なほど希少で、その停留所にバスが停まるのは一時間に一本という地方だ。社会人なら自家用車は必須。たとえ中古の軽でも大切な生活の足だ。むざむざと廃車にさせるわけにはいかなかった。 「今から清美さんを送って、また帰ってくると往復一時間かかるなぁ」 「いいですよ。肝試ししましょう。怖くなったら、さっきの動画見て癒されますから」 「……その動画、消してくれないかな?」 「ダメぇっ。わたしの人生の栄養素なんですよぉ」  マズイ人にマズイ弱味をにぎられてしまった。まさかと思うが、SNSにアップしたりしないだろうかと不安になる。  ともかく、二人で空き家のなかへ入っていった。真っ暗闇だ。懐中電灯をつけると、清美の言う肝試し感は申しぶんない。細い光が、いかにも頼りない。 「……清美さん。おれは一人でも寝れると思うけど、清美さんは大丈夫? やっぱり部屋は別々のほうがいいと思うんだけど。いちおう、男女だし」 「ええッ? すっごいムチャぶりしますね。このオバケ屋敷のなかで一人で寝ろと……」 「ごめん。やっぱムリか」  宇宙の始まりから闇に包まれていたかのような暗黒のなかで、女性に一人でいろと言うのは、かえって残酷だろう。それに、こう言ってはなんだが、おそらく清美相手では、龍郎が色っぽい気持ちになることは生涯かけてない。  しかたないので、龍郎は屋敷の中心の八畳間に、清美と二人、寝袋をならべた。枕元にはランプを置き、多少は視界が明るくなる。  腕時計を見ると、まだ九時すぎだ。  ここに来る前にファミレスで夕食はとってきた。だから空腹ではないのだが、大学卒業仕立ての新社会人に九時に寝ろというのは酷な話だ。 「清美さん。家のなか調べてみようか?」 「えっ? そんな、マジで肝試ししちゃいますか?」 「でも、ここに住みたいわけだよね?」 「ええ、まあ」 「なら、ちゃんと調べて安心したほうがいいよね?」 「……ええ、まあ」  返事は心もとないが、とにかく寝袋を這いだして立ちあがる。 「えーと、端っこの部屋から調べたほうがわかりやすいかな」 「そうなんですけど、龍郎さん」 「うん。何?」 「さっきから、なんか変な音がしませんか?」 「そうかな?」  耳をすましてみるが、よくわからない。かすかに梢のゆれる音が届く。 「わからないなぁ」 「なんか、カタカタ言うんですけど」 「どうだろう?」  懐中電灯を片手に廊下へふみだす。  左右を見渡すが、とくに変わったものは見えない。  とりあえず、玄関から調べてみることにした。古い家なので玄関も立派だ。玄関だけで三畳ていどのスペースは優にある。三和土の敷石だけでも一畳ぶん。  玄関をあがると、広い板の間。板の間の奥が廊下に続いている。右手に四畳半の小さな客間。ここには家具がないので客が泊まるときの寝室だろう。押入れがついていて、なかはカラだった。さすがに布団は捨てたようだ。  とくに異変もないので、客間を出る。  隣室は物置になっていた。ごちゃごちゃと古い道具がなげこんである。ここも、とくに変わったことはない。  そのとなりが、龍郎たちが寝袋をならべていた八畳の和室だ。そこから先は廊下が直角に折れる。家全体はLの字を時計まわりに九十度たおした形になっている。  廊下のまがりかどの部分は、そのさきが土間になっていて、昔風の厨房になっている。勝手口があり、裏庭に離れがあった。三宮に貰った見取り図によれば、離れは風呂場とトイレだ。  今のところは外へは出ず、玄関横の左手の部屋へ戻る。  玄関の左手には十畳、十二畳の広間が二つ。親類縁者など大人数が集まるときには、あいだの襖をとりはらって、大広間にすることができる部屋だとわかった。玄関横の縁側に通じていて、家から花嫁が出ていくときや、死者を送りだすときなどに使う。龍郎の実家にもそういう目的の広間があった。  けやきの見事な座卓が一つあるだけで、ここにも異変はない。  天袋一つあけるにも、清美はキャアキャア言っていたが、ちょっと落ちついてきたようだ。 「龍郎さん。なんか、わたしのせいで、すいません」  急に謝ってくるので、龍郎はそっちに懐中電灯の光をなげた。 「いや、まあ、おれも早くあのダンボールはなんとかしたいから。でも、ここなら三人でも暮らせる広さだね」  龍郎が言うと、清美はなにやら、まごついた。 「三人? そ、そんなの、パラダイスじゃないですか! イチャイチャ見放題!」  龍郎は苦笑いだ。 「清美さん。勘違いしてるけど、おれたち、つきあってないからね」 「ええッ! 今さら、そんな隠さなくても……」 「いや、ほんとだよ? おれは青蘭を好きだけど、青蘭はそうじゃないと思う」 「……なるほど。切ないパターンですね。応援しますよ! がんばってください!」  ははは——と龍郎は苦笑いして、廊下をまがる。  折れまがった部分には六畳間が二つ続き、一方には床の間がある。その床の間に懐中電灯の光があたったとき、龍郎は何か違和感をおぼえた。 (うん? なんだ? 今、変なものが見えたような?)  ゆっくりと、光の輪をそっちに戻す。  とたんに、それに気づいて、ギョッとした。
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