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最近の漆黒のキスは、甘い。
それは梓の気持ちが為せる錯覚ではなくて、本当に甘いのだ。
彼がタバコをやめて1週間。タバコがないとやはり口寂しいと言って、漆黒は飴玉を舐めるようになったのだった。
もちろん、キスもする。
これまでタバコの苦みがあった彼の舌先は、別人のようにとろりと甘い。
その味に、中々慣れなくて……梓はなんだか少し、悶々とする気分だった。
般若の差し金なのか、部屋にも消臭効果のある香が焚かれたりして……梓の好きな漆黒のあの匂いが、もうほとんど消えている。
それを寂しく思う気持ちが、梓の中にどんどんと降り積もっていっていた。
当の本人は禁煙の苛立ちも見せずに平然とした顔をしているのに、梓の方が落ち着かなくなって……。
梓はこの日、漆黒の目を盗んでタンスの奥に仕舞っていたタバコの箱を取り出した。
一本を取り出し、くんと匂いを嗅いでみる。
しかし、火が点いていないからだろうか……梓の求める香りとはかけ離れていて、梓は着火するための器具を探した。
禁煙をする、と決めてから漆黒はライターやマッチ類もどこかへやってしまったので、それらが残っていそうな彼の上着のポケットを探ってみる。
すると、小さな箱が指先に当たり、そこにマッチが入っていた。
箱からマッチ棒を摘まみ出して、側面のところでシュっとこする。
燐の燃える匂いとともに、赤い炎が上がった。
梓はそれに、指で持ったタバコの先端を近づける。……中々火がつかない。
あれ? と梓は首を傾げた。
なぜ火が移らないのか。
まごまごしている内に、マッチの火が危うくなって、梓はガラスの灰皿の上にそれを捨てた。
タバコの先端が少し焦げている。もう一度炙れば火が点くだろうか?
梓は新しいマッチをこすろうとした手を止め、ふと考えた。
漆黒はいつも、火を点けるときにタバコを咥えてはいなかったか。
きっと、こうして指で持っているよりも口に咥えた方が火が点けやすいのだ。
そう思い立った梓は、なんだか悪いことをしている気分で、そっと唇にタバコを挟んだ。
自分は未成年だけれど……これは喫煙したいのではなくて、匂いを嗅ぎたいだけだからセーフだろう。
自分にそう言い訳をしながら、マッチをこする。
そして、火を近づけようとした、そのときだった。
バタン、と扉が開いて、和服姿の漆黒が姿を見せた。
「急なキャンセルが入って休みにな……った、」
部屋にあがってきた漆黒が足を止め、ソファの上の梓を唖然と見下ろしてくる。
梓は唇のタバコをどうすることもできずに、パニックに陥った。
見られた。漆黒に見られてしまった。
焦る梓の指先で、マッチがどんどん燃えてゆき……。
「あつっ!」
皮膚を炙られて、梓は思わず悲鳴を上げて灰皿へとマッチを放り投げた。
口を開けた拍子にタバコもぽろりと落ちてしまう。
「大丈夫か?」
上から声が降ってきて、右手首が掴まれた。
火傷ができていないかと、梓の指を男の目が検分してゆく。
梓は居たたまれない気分で俯いた。
「……お、お帰りなさい……」
「ああ。っていうか、おまえはなにしてたんだ?」
当然の疑問を向けられ、顔から火が出そうだった。
「べ、べつになにも……」
「なにもって……これは俺のタバコだろ? もしかして反抗期か?」
揶揄う口調で問われ、梓はブンブンと首を横に振った。
「違いますっ」
「ならなにしてた?」
「…………漆黒さんの……」
「ん?」
やさしい手が後頭部に添えられ、そっと撫でられる。
恐る恐る目線を上げると、漆黒がじわりと笑っているのが見えた。
「漆黒さんの、いつもの匂いが消えてしまったのが……な、なんだか寂しくて……タバコに火を点けたら、あの匂いが嗅げるかと思って、その……わっ」
口ごもりながら説明していると、言葉の途中で急に強く抱きすくめられた。
漆黒の胸元に頬を押し付ける形になり、梓は反射的にくんと鼻を鳴らす。
男の仄かな体臭が鼻腔に入り込むが、それはやはりどこか物足りなかった。
「梓……おまえ可愛すぎるだろ……」
「え?」
梓はパチパチと瞬き、聞き間違えだろうかと首を傾げた。
可愛いと言われるような行動をした覚えがないが……。
「あ~もうっ! おまえは俺の我慢を簡単に壊しやがって」
「え? え?」
「俺だってたまには格好つけたいんだよ。おまえのために平気な顔で禁煙したり、な」
「し、漆黒さんは、いつだってカッコいいですよ……」
梓がそう答えると、ため息が降ってきた。
なにか返事を間違えただろうか。
もぞり、と男の腕の中で動いて漆黒を見上げると、漆黒がなんとも言えない渋い顔で梓を見つめていた。
彼がぐしゃりと前髪を乱して、もう一度嘆息すると、ソファの上に落ちていたタバコをひょいと拾い上げた。
梓が唇に挟んでいた吸い口を、当然のように口元へと運んで。
様になった仕草でタバコを咥えた漆黒が、苦笑いをひらめかせて。
「喫ってもいいか?」
とバリトンの声で問うてきた。
梓がこくこくと頷くと、男らしい手が小さなマッチを摘まんで、しゅ、とこする。
「タバコはな、梓」
低く囁いた男が、炎越しに梓へ眼差しを注ぎ、囁いた。
「こうして先端を少し炙って、息をゆっくりと吸いながら火を点けるんだ」
男の言葉通り、先端にオレンジの火がともった。
漆黒が目を細めながら静かに息を吸い込み。
ふぅ、と長く吐き出した。
彼の唇から紫煙が立ち上り。
梓は。
梓の好きな香りに包まれた。
梓を腕に抱いたまま、漆黒がタバコを薫らせる。
彼が一本を喫いきるのを待てずに。
梓は彼の膝の上に乗り上げて、両手で男の頬を包んだ。
ざり……とてのひらに顎髭の感触が当たる。
梓が顔を近づけると、心得たように微笑んだ男の唇が迎えてくれて……。
梓は一週間ぶりに、ほろ苦い男のキスに溺れたのだった。
後日、禁煙に失敗したとして漆黒が般若にガミガミと叱られてしまい、申し訳ない気持ちになった梓であった。
END
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