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 アーデン卿トリスタン・カワードはこれまでにないほど荒れていた。寝室に入るなりネクタイをむしり取り、脱いだ上着を床に叩きつけると、ダマスク織のソファにどさりと腰を下ろした。くすぶるような暖炉の火が、オレンジ色の明かりで強張った彼の顔を照らす。  今夜は人生で最も不運な夜だった。プライドも体裁もかなぐり捨てて計画を実行したというのに、まさかあのような大番狂わせがあるなんて、誰が予測できただろう。暗闇のなかとはいえ、美の女神さながらの美貌を持つ憧れの女性と、地味で冴えない小娘を間違えるなんて。  ミス・ヴァイオレット・メイウッドはこれまで彼が出会った女性のなかで最も美しい女性だった。初めて彼女を目にした夜、彼女は緻密な花の刺繍があしらわれた真っ白なモスリンのドレスを身に纏い、美しく結い上げた黒髪に、ほっそりとした儚げな首に、かたちの良い耳朶に、白銀にきらめくパールを輝かせていた。彼女を一目見ただけで稲妻に打たれたように脳が痺れ、全身が強張った。彼女の所作はひとつひとつがしなやかで繊細で、優美だった。
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