12月7日 PM10:54

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12月7日 PM10:54

駅ビルに入っているファミレスで、久しぶりに会った友人としばしの近況報告のような歓談を切り上げて、駅を挟んだ反対の通りに出た。共通の趣味を持つ古い友人との時間は楽しいものだがそれ以外にも今日は大事な用事があった。  高架下を抜けて通りに出てすぐのアーチの方に進めば、名前だけはよく知っている音楽関係の専門学校がある。ここはそういう街だ。今から向かうライブハウスは、界隈のバンドが連日途切れることなくライブを行っている。オーディエンスとして行くことがほとんどだった幸弥も一度だけ、演者として東京遠征で立ったことがある。 その時のことはあまりいい思い出とは言えない。アラスカもかくや、という程冷え切ったフロア。いつも見に行く時はフロアの出入り口付近まで人でいっぱいだったけれど、平日の長丁場のイベントとなれば客の入りもとぼしい。最前だけが必死、真ん中はなんとなく見ている。後列に至っては完全に無視。そんな冷たさに少し心が折れた。  通りをひたすら進んだスーパーマーケットの地下にそのライブハウスはある。まれにこのスーパーに音が漏れていると聞いたことがあるが、あいにく利用したことが無いので真実のほどは分からない。  慣れた足取りで階段を下り、当日料金とドリンク代を支払うと怠そうな顔をしたスタッフが気だるげに当日券を切って口を開く。 「どこのバンド目当てですか?」 「詩月セッションで」  訊いてきた癖になにかに書きつけるようなそぶりは見せない。それでどうやってマージンを決めるつもりなのか。客の入りが多いイベントの時は整番=命、フロアに到達するのが一秒でも遅くなれば人を殺す。みたいな客層相手にその行為で反感を買いまくっているくせに。ステージに立つ側としてはとやかく言えるほど関わったことがないのでコメントは差し控えるが、客側からするとここのスタッフはあまり評判がよくなかった。  けれど贔屓のバンドが好んで使うならば行くしかないのがバンギャたちのさだめ。ここのスタッフは人の心がない、と言いながらも今日もここに通うのだ。 終演後はドリンクを交換できないから、さっさと行きがけにドリンクを引き換えてフロアに足を踏み入れる。そんな不便な仕様のわりに、ドリンクが全てカップ提供なのが輪をかけて不親切だなといつも思うのだが、改善される見込みはないようだ。今日は対バン形式だから転換中に、という手もあるがワンマンとなるとこれは本当に厄介で家を掃除するとたいてい未使用のドリンクチケットが出てくる。  フロアの一番後方、PA卓の前あたりに陣取って、背中を預ける。ふと視線を落とすと化粧直し中のバンギャルと目が合って慌ててドリンクに口をつけた。量も長さもかなりの、自前なのかつけまつげなのかはたまた流行りのまつエクなのかは定かではないが、たっぷりした睫毛とはっきり目尻まで引かれたアイライナーに縁どられた目に睨まれると身が竦む。まさしくヘビと蛙。っていうかこんなところでよく化粧直しなんてできるな、と内心感心する。  ヴィジュアル系のフロアは、基本的に女の世界だ。男はけっこう肩身が狭い。彼女たちの統率のとれたフリを乱す者あれば冷ややかな視線が飛んでくるし、そもそも長身の部類に入る幸弥は彼女たちの視界を邪魔してしまう。保身のためにライブを見る時はたとえ整理番号がよくても後ろの方に収まるのが幸弥の常だった。  目当てのバンドが何番目なのか分からない時は、ひたすら興味のないバンドを見せられるこの時間はけっこう堪える。こういう単発の対バン形式、タイムテーブル非公開となると状況は絶望的だ。対バンツアーならある程度初日から様子を見ていれば流れも読めてくるのだが。大きいイベントに出るレベルのバンドなら音出しの時点で判別もできる。しかし今日はセッションやマイナーバンドがメインだ。さっぱりなにも読めない。ここでなぜか出順を知っているのは所謂繋がりというやつだ。   名前を聞いたこともないマイナーバンドを聴きながら、これなら自分の方がまだマシだな、と思ったり思わなかったりしない内に、目当ての順番が来たようだった。  ステージの中心に立つ小柄な体躯。銀の髪がライトに照らされて、光を跳ね返している。顔はまあそんなに悪くはない。生意気そうにややつり上がった目尻、挑発的な色を湛えてフロアを見渡す視線に、自然と自身の口角も持ち上がる。  口を開く。そこから飛び出た咆哮に重なるカウント、始まったのは幸弥もよく聴く界隈では有名なバンドの曲。セッションの選曲なんてそんなものだ。神曲なんて持ってくるのならそれはここからバンドを立ち上げますよ、という意思表示に等しい。ほとんどのバンドはコピーをやるのが定石。そんなことは想定内だったが、聴きながらふと違和感を覚える。 (――選曲、ボーカルの声質に合ってない、か?)   元曲を聞き慣れているほどコピーへの違和感は拭えないものだ。しかしそれとはまた違う、セッションなのだから好きな曲をやればいいわけだが。それにしたって、歌いづらそうだ。彼のことはそれなりに調べた。いくら本人がミドルから低音域を好んでいるとはいえ、彼の持ち味は美しく伸びる高音。前のバンドでもそれはしっかり発揮されていたはずなのに。  最初に感じた高揚感は徐々に冷めて、違和感だけが喉に引っかかったまま持ち時間を終えて彼の姿は降ろされた幕の向こうに消えていく。その後のバンドがどんな感じだったかなんてほとんど覚えていない。終演後のごった返していたフロアも落ち着いてきた頃、仕方なしに会場を出る。  そうしてスタッフに目をつけられないよう注意を払いながら、搬出口に辿りつくと待った。とにかく待った。雨の降る中を、見た目は完全に不審者だがこれしか方法はない。詩月は前のバンドが解散してから連絡先の類を全く残さなかったのだから、アポイントなんて取れなかったのだ。  もう帰ってしまったのだろうか。いい加減、雨が傘を打つ音が耳に痛くなってきた。気温はそれほどでもないが、雨が徐々に体温を奪ってくる。いっそ雪の方があたたかい、そう思ってしまうのは北の方の生まれのせいか。 諦めて、別の方法を探したほうがいいか、そう思っているとひょっこり現れた夜目に明るい銀髪に小さく声が上がってしまって我ながら気色が悪い。まるで雑踏の中、想い人を見つけた乙女のような感じの心持だった。 「……こんばんわ。詩月サン」  意を決して声をかける。跳ね上がったアイラインを落とした顔は幾分か幼い印象を与える。けれどわずかにつりあがった目尻は元からのようで、一重も相まってやや生意気そうな印象だ。 「だれ、あんた」  ぶっきらぼうに答える声からは分かりやすいくらい警戒心が滲み出ていた。無理もない、雨の夜に知らない男から声をかけられたらだれだってそうなる。自分だってそうだろう。  こうしてメイクを落とした顔をよく見ると、なかなか愛嬌のある顔立ちをしている。少年と青年のあわいの危うさのようなもののなかに、秘められた芯の強さと負けん気が同居してなんだかほっとけないようなそんな感じだ。 「あー、やっぱ覚えてないか。二回くらい対バンしたんだけど。仙台の、Kyrieって名前に訊き覚えは?」 「……ないけど」  同業者と分かって少しだけ空気が変わった。バカ正直に情報を開示したのは隠してもメリットが欠片もないからだ。 「そんな田舎のバンド、オレらが知るわけないじゃん」  話に割り込んできた今日のセッションのメンバーがせせら笑う。正直なんのパートなのか覚えてはいない。ベースだったらなんとか覚えているのだけど。この程度は想定の範囲内の侮蔑なのでさして苛立つことはない。都内というだけのアドバンテージに胡坐をかいて地方を下に見るやつにロクなやつはいない、というのは幸弥の持論だ。 「俺、今日ナンパしに来たんです。詩月サンのこと」  にこっと効果音でもつきそうな笑みを浮かべて失敗したと思った。ナンパってなんだ、ナンパって。今の顔つきといい完全に胡散臭いことこの上ない。対面の低い位置にある顔は一瞬呆気にとられたような顔をしていたが、次の瞬間にはまた仏頂面に戻ってぼそりと吐き捨てるように幸弥に言った。 「場所、変えよう」 「えぇー!お前そんなやつについてくの?バカじゃん!」 「うるせえよ、話聞くだけ。……行こう」  他の連中はまだやいのやいの言っていたが、詩月はずんずんと歩いていくので幸弥もそれに倣ってライブハウスの敷地を出た。そういえばこれは出待ちというやつをやってしまったのだろうか。経験値が上がったなあ、と呑気なことを思う。 「で、どこ行くの」 「えっと、一応訊きますけど詩月さん歳って」 「十八」 「あー、俺も一応まだ未成年なんで駅前のサイゼかマックで」  逡巡してから口にするとマックの方にするらしい。小さい背を追って店内に入る。飲み物と軽くポテトでいいか、と思っているところに詩月が財布を出したのが視界に入ってそっと制す。 「話聞いてもらうの、俺なんで出します」 「……でも、」  知らない相手に奢られるのが嫌なのか渋い顔をするところがまた好感が持てる。こういうところにルーズな人間とはきっとうまくやっていけない。 「俺のが年上だし、時間もらっちゃうわけだから」  隙を与えないように自分の分の注文を告げて会計は一緒で、と伝えて支払うと不承不承と言った体で詩月は空いている席を探しに行った。ちょうどあいていた角の席に向かい合って座る。 「……で、ナンパってなんすか」 「言葉通りの意味。実はうちも夏に解散してて、次のバンド組むのにボーカルを探してるところでぜひ詩月サンと一緒にやりたいなって思ったから、かな」 「なんで」  懐疑的なまなざしが刺さる。別になにも隠すことはない。変な駆け引きなど、彼のような正直なタイプにはかえって逆効果だ。理由はストレートに、はっきりと。 「声に惚れた。それ以外に理由って要る?対バンの時聴いていい声だと思った。俺の蜜の子から君のバンドも解散するって聞いたからツバつけに来た。なんかおかしいとこある?」 「……ない、と思う」  ちょっと苦虫を噛みつぶしたような顔をした理由は分からないけれど。端的に事実を述べた。あとは向こうがどう思うか。しばらく黙りこくったあと、詩月はおそるおそるといった様子で口を開いた。 「どんな曲、演るの」 「……方向性とかまだ詰めてないから、Kyrieの時の曲でいいなら。」 詩月が首肯を返したので、スマホにイヤホンを刺して手渡すと、ネットにアップしていた音源を流した。静かに聞き入っていた詩月はぽつりと呟く。 「かっこいいっすね、バッキング。……でも、」  でも、という後に続いたのはボーカルが、だろうか。声には出ていなかったが口の形がそう読み取れる。大ぴらに人のバンドの悪口を言おうとはしないのだろう。そこもまた好ましい。 「あんたがメインで作るんだ」 「そう、俺はね。俺の曲をちゃんと歌ってくれるボーカルを探してる。もちろん俺の曲だけじゃない、自分の意思と言葉で、ちゃんと意見を発信してくれる人がほしい。雨ん中ずっと待ちぼうけてもいいくらいには君が必要」 「でも、おれ……」 「あれ?もしかしてもうどっかの予約済み?さっきの?」 「そういうわけじゃないけど」  目を泳がせる詩月に幸弥はおや、と思った。このけっこう見たところ思いきりの良さそうな人間がこんな躊躇いを見せるとは思っていなかった。ポテトを咀嚼しながら思う、豪胆に見えて案外繊細なのかもしれない。 「まあ、まだメンバーも俺とギターのやつだけなんだ。だから悩むだけ悩んでほしい。今すぐ返事しろなんて言わないから。あと俺たちあと二年は学校行かなきゃで思うように活動できないかもしれないところあるから、その辺も考慮してほしい」  鞄からメモを引っ張り出してラインのIDと電話番号をメモして詩月に握らせると席を立つ。とにかく、言いたいことは言った。あとは彼が決めることだ。 「あ、そういえば名乗ってなかった。俺は元Kyrieのベーシストの華音。本名は澤田幸弥って言います。よろしくね」 *** 「……で?ナンパ成功した?」  大学の食堂で向き合った利央が至極真面目な顔で尋ねてくるから、なんだか笑える。幸弥はただ分からんと答えてセルフサービスの緑茶を啜った。 「向こうは都内が活動圏なんだから、しばらくは大変だべ。そうほいほい返事は来ないっしょ」 「まあそりゃそうなんだけどさ。でも驚いた、幸弥が『ちょっとナンパしてくる』なんて言い出すもんだから」 「フラれるのはごめんなはずなんだけどね。でもそれくらい惚れちゃったのよ、あの子のポテンシャルに」 「……オレも言われてみたい。幸弥に」  また始まった。と思いつつスマホを確認する。今日もまだ連絡はない。けれど幸弥には彼が自分たちと一緒に演るヴィジョンがはっきりと見えていた。ただの夢物語とか、妄想と言われたらそれまでだけれど幸弥の曲を聴いたときの一瞬見せた表情で、いけると思ったのだ。 「……そういえば、バンド名ってどうするの」 「あー、もういくつか候補は考えてたんだけど……」 END
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