片隅の熊

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 それから私は孤児院を渡り歩くかのような生活を送ることになった。  お父様と兄様の狂宴があらわになったから。  それはあっという間の出来事で、からだを起こした私の姿に半ば発狂したように兄様は何度も鉈を振り回した。  その刃は、私に何度でも届いたのに、何度でも忘却の彼方へと追いやられた。  無傷すぎる私を、お父様も気味悪がって、簡単に家から放り流されてしまった。  お母様とは挨拶すら交わせなかった。  ここはとある尼寺だ。  居座らせてくれるならば、もっと仕事もせねばとやれるだけのことをやってみるのだ。  平たい煎餅布団に、染みのある天井。  枕元に置いた石を撫でて、起きてもなお夢の続きを見ようとしている。  彼に会いたいと思ってはいけないのだろうか。  居座らせていただいている尼寺を抜け出して向かったかつての我が家は取り壊されて、見覚えのないお屋敷が立っていた。  結局、あのあとお父様と兄様はお縄となった。  ふたりはその狂宴が、明るみになってしまった。だから、何も反論することはなくちょうど言い返事ばかりをしてしまっあ。  お母様の行方は知れない。  まだ空は暗かったけれど、その内白じんで来るであろうから、軽い気持ちでからだを起こした。  枕元に置いた石を撫でて、夢の続きを思い出そうと必死なのだ。  小物入れの兎があしらわれた櫛も手にしてみても、あの石を撫でてみても、熊は見えなかった。  ちゃんと思い出したい感情が先走るけど、それだけではどうにもならなかった。  私の家で行われた狂宴です。ゆえに、お父様も兄様も、簡単にお縄となったのです。  お母様も捕まった。  でも、私は今もこうしていて、尼寺で居座っているし、実は私にそんな過去があることを、多くの人後がわからない。  念じて触れると、私が消える。  生き残るために必要なのだ。  私はあれから、触れると、触れた相手から消えた。  私はそうやって、忘れられることで活きている。  そして私は何止めかのこどもをしている。  あの櫛を手にして、忘却の番にしかられたであろうのは、誰もで。  それでも私は、何止めかの2日間は仕方ないと諦めるのだ。  せめて彼らしいと言うしかない。  そして片隅の熊もまた、姿を消してしまった。  私は、“お嬢様”でもなければ、“私”ですらなくなって、まだ生きている。
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