<6>白鷺家の別邸

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<6>白鷺家の別邸

 夜も更たころ。    白鷺家の別邸の門前にアイドリングをかけたままの公用車が一台止まっていた。  かれこれ三十分は経過している。高輪の閑静な住宅街に震えるエンジンの低周波に交じり、何やら言い争う声が響いていた。 「そこを何とかして、取り次いで欲しい。きみ、新入りか? お願いだから保先生に副委員長の大澤が来たと、一言伝えたらいいだけの話だろう」  公用車の助手席の窓から秘書らしき男が顔を出し、警備員ともめていた。 「ですから、申し上げた通り、今夜先生は、どなたにもお会いになりません。ご面会はどなた様もお断りするよう申しつかっております」 「電話もメールも繋がらない。そこを何とかしてくれないかな。そこの内線を使って、うちの先生の名前を呟くだけでいいんだ」  議員秘書は後ろに座る主人のために、何としてでも要望をねじ込もうとしている。 「そう言われましても、先生方から今晩の来客は全て断るようにと、きつく言われております。ですから、申し訳ございませんが、日を改めていただけませんでしょうか」  警備員の態度は頑なだ。一時間ほど前にも霞が関からやってきた官僚もこの警備員によって追い返されたばかりだった。  押し問答の最中に保の秘書鈴木氏が、背広の釦をかけながら別邸の裏口から颯爽と出てきた。 「阿部君。何事かね? 今夜、先生方はどなたにもお会いになれないよ」  鈴木は急ぎ駆けつけると警備員に向かって苦言を呈した。 「鈴木さん、すみません。何度申し上げても、お帰りいただけなく弱り果てております」  警備員はほとほと困ったという顔をした。  鈴木秘書が来たのを見計らったように、公用車の後部座席の窓がスッと空いた。  「ようやく話のわかる奴が来た。鈴木君! 保ちゃんに大澤が来たと伝えてくれんかね」  赤いネクタイを締めた四角ばった顔の中年男がにょっきり顔を出した。 「これは、大澤委員長! わざわざお越しになるとは、よほどの事態ですよね」 「そうよ。保ちゃん、いるんだろう?」 「はい。ですが……あいにくと今夜はタイミングが悪く、保先生にはお会いいただけないのです」 「こちらも、無理を承知でお願いしているのだ。そこのところ、取り次いでもらえんだろうか?」  大澤もなかなか引き下がらない。 「申し訳ございません。今夜、遅くでよろしければ、保先生に確認の上、私から調整のご連絡を入れさせていただきます。ですから、今夜のところは私の顔に免じて、どうかお引き取り願えませんでしょうか」  鈴木秘書は選挙対策委員長である大澤に対し、無礼がないよう慎重に接していた。 「大澤先生、あれ見てください。どうやら先約がありそうです」  大澤の秘書は路地の暗がりに向かって言った。  住宅街を高級車が一台やっていた。 「もしや先約か?」 「はい」 「あれは、どこのどいつだ」  「それは…申し訳ございません……」 「……うっ……よほどの案件なのか?」 「はい。私も詳しいことは何も……。ですが、そのようです」 「しかたがあるまい……。出直そう……。鈴木君、先生に必ず大澤が来たと伝えといてくれ」大澤はしぶしぶ受け入れた。 「大澤先生、ご無理申しまして誠に申し訳ございません」  鈴木秘書は大澤に向かって深々と頭を下げた。 「いや、無理を言ったのはこちらだ。今夜中にうちの林とスケジュール詰めてくれ」  大澤が頭を引っ込めると、後部座席の窓がゆっくりと閉まる。大澤の公用車と、約束の人物を乗せた車がすれ違う。鈴木秘書は大澤の車が見えなくなっても尚、そのまま頭を下げ続けていた。 
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