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つい一時ほど前まで、空には満天の星が輝いていた。黎明の今は明度の低い星から順に姿を消し、残った一等星のみがぽつりぽつりとあるのみだった。
双眼鏡を下ろし、男はふうっとため息を漏らした。
不意に風がおさまる───。
辺り一帯に静けさが増す。
荷台に積んだ大型無線機から、ザザザというさざ波のようなノイズだけだが響いた。
「イーゴルさん、入感なしです」
車中にいるクルーが呼びかけた。比較的若いアジア系の男だ。ヘッドフォンを耳に当て、少しの兆しも聞き逃さすまいと待ち構えていた。イーゴルは腕時計を見る。
AM7:58
三月二の日の日の出まで、あと半時ほどある。
予定ではあと十分もすれば大忙しだ。
助手席からもう一人、女が降りてきた。ダウンコートにミンクの毛皮の帽子を被っていて、黒髪にグリーン色の眼差しは、東洋人とも西洋人ともつかない神秘的な顔立ちをしていた。
「イーゴル──、彼女まだかしら?」
彼女は待ちきれなかったのだ。白い息を吐き出し、不安げな表情で東の空を見上げた。
「もうまもなくだろうよ」
「あぁどうか無事でいてちょうだい」
「なに、だいじょうぶさ、イリアンはとびきり優秀だから、きっとうまくやる。──オルガ、外に出ていると体を冷やす。さぁ戻りなさい」
イーゴルと呼ばれた男は、もう一度双眼鏡を覗き込んだ。
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