自 由

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自 由

 暖かい強い風が吹き上げる訓練所で、大和は最後の仕事に精を出していた。卒業生が大和の抜ける穴を埋めることになり、独立することが決まったのだ。後輩に仕事の引き継ぎも完了し、今日でこの訓練所を退職する。  午前中の授業が終了し、新入生達が教室から出て来ると、大和は皮製のリードを持って犬舎に入った。  一斉に吠える犬達の中に、一頭だけ吠えずに大人しく座っている黒い大きな狼。そのドアを開けると、狼は大和の脇に長い鼻を差し込んで、その巨体を押し付けた。まるで自分の匂いを大和に擦り付けて、所有物だとマーキングをするように。 「ちょっ…ロキ、ジッとして。オスワリ!」  大人しく座るロキの首にチェーンカラーとリードを着けて犬舎から連れ出すと、生徒達がワラワラと寄ってきた。 「凪先生、今からロキとお昼ですか? 一緒に食べて良いですかぁ?」 「うん、いいよ」  犬舎前のベンチに、ロキを囲むように皆で座り、弁当を食べる。ロキはオスワリをしたまま大和の膝に顎を乗せ、自分用に大和が作った弁当を食べさせてもらう。2人はここ1カ月、こののんびりした時間が好きだった。  訓練所には、犬を飼ったことが無い者や、中には大型犬が苦手な生徒も入って来る。しかし、ロキと触れ合うことによって大型犬好きになる者がほとんどだった。 「凪先生とロキちゃんが居なくなるなんて考えられなーい」  まだ子供っぽさの残る若い女子生徒が大和に腕を絡める。すかさずロキが大和と女子生徒との間に鼻をズボッ!と突っ込むと、生徒達はキャアキャアと喜んだ。  大和に誰かがボディタッチをすると、必ずロキが間に入って邪魔をするのが名物のようになっている。 「ねー、凪先生、辞めないで〜」  面白がって生徒達が一斉に大和の肩やら腕やらをペタペタ触ると、ロキは低い声でウォン!と吠えて、大和の座るベンチに手をかけて立ち上がった。大和の顔がロキの黒い胸に埋まると、生徒達はまた大喜びした。 「ロキちゃん、独占欲強過ぎで可愛い〜!」  賑やかな昼休みが終わり、午後の授業が終わると、生徒達は名残惜しみながら送迎バスに乗り込んで帰って行った。彼らには明日もここで授業があるが、大和は今から都内近郊まで車を走らせる。  所長はもう少し部屋に居て良いと言ってくれたが、ここではロキの犬舎住まいは避けられない。一日も早く一緒に暮らしたくて、もう家を借りてしまった。  独立後は東京周辺での仕事が多くなりそうなので、近隣の築100年の古民家を借りることにした。ボロボロだったが、手入れをすれば何とか住めるだろう。何より大和は犬の訓練士だ。  競技会などで地方へ行く事も多く、どちらかと言えば家よりも車が家みたいな職業だ。だからボロボロでも構わなかった。  少ない荷物とロキを車に積み込むと、大和は所長に挨拶する為に職員室のドアを開けた。所長の他、トリミング指導員、そのアシスタント、看護指導員他、同僚のスタッフ達が居た。 「失礼します。所長、皆さん、お世話になりました」  居心地の良かった訓練所。自分に居場所を作ってくれた仲間に深々と一礼をすると、皆が一斉に拍手をしてくれた。 「凪先生、頑張ってね!」 「はい……ありがとうございます」  Ωの自分にも普通に期待をして接してくれた人達。改めて環境の良さを実感すると、所長が大和の肩に手を置いた。 「独立したらいろいろあるだろう、特にお前は第2性の問題があるからな。でもあのウルフドッグが居ればまずまず大丈夫だ。とは言え犬は犬だ、人間社会では無力なこともある。何かあればいつでもここを頼っていいからな」  大柄な所長の大らかな性格に感謝して、笑顔で訓練所を後にすると、小さなワンボックスカーに乗りこんだ。  車の後部座席は折りたたまれ、布団を敷いた上にロキが寝ている。 「行こうか」  エンジンをかけて発進すると、大和は思い出したようにロキに行った。 「そういえば、明日から2日間、都内で映画撮影の仕事あるから。タレント犬デビュー、頑張ってね」  驚いたロキが立ち上がると、天井にガンと頭をぶつけた。 完
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