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訪問者
訓練所に戻った大和は、まだ少し重い腰を引きずって職員室へ向った。
手摺りに頼りながら外階段を上り、事の顛末をどう所長に報告すべきか思いあぐねていた。
2階テラスからはロキの居る山がよく見える。最近少し日が伸びてきて、まだ夕方5時ながら明るく遠くまで見渡せた。
まさか人狼だったと言うわけにはいかないし、ウルフドッグを見つけたので引き取りたいと申し出るか、何も居なかったとうそぶくか。
大和の気持ちは決まっていた。ただ、ロキの命と人生を背負う責任の重さと、訓練所の居心地の良さに二の足を踏んでいるだけだ。自分に自信が無いわけじゃない。でも今一歩、決心がつかなかった。
所長に相談してみるか…
何か糸口が見つかるかもしれないと、顔を上げて職員室の扉を開けた。
「失礼します」
広い背中に声をかけると、数本白毛の混じった頭を掻きながら、所長が軽い笑顔で振り返った。椅子がまたキーと悲鳴をあげる。
「今、戻りました」
「おー、凪。どうだった?」
ロキを狼犬として話すか迷っていた大和は、所長の明るい声で話すことに決めた。所長なら力になってくれるかもしれない。
「あの…所長、やっぱり…その…ウルフドッグでした。それで、ちょっとご相談があるんですが…あのウルフを引き取れないでしょうか」
すると所長はスッと真面目な面持ちになった。真剣な相談の時はしっかり向き合ってくれる、大和にとっても、他のスタッフや生徒達にとってもよき父親のような存在だ。
「犬は縁だからな…お前がそう感じたなら構わないが、懐きそうか? まぁ、懐かせられたら、ウチで飼っていいけどな」
「懐いては…くれると思います。でも、飼われることをヨシとするかどうかはまだ分かりません」
人狼であることは隠しつつ、昼間は狼だからと、あくまでも犬と狼のハイブリッドであるウルフドッグとして話をする。
「金もかかるぞ」
分かってはいたが、所長にも言われると心がグラつく。
エサ代の他、もろもろの道具費用も必要だが、一番金がかかるのが医療費だ。犬には医療保険が無い。しかも薬代は体重に比例するので、デカい犬ほど金がかかる。
そもそもロキは人狼だから、いざ病気になったら動物病院に世話になるのか?という問題もあるのだが、その辺りは当人に聞いてみなければ分からない。
どちらにしろあの巨体…食餌代は絶対にかかる。気持ちはロキを相棒にして独立したくても、先行き真っ暗では将来が立ち行かない。
シュンとして俯くと、所長は仕方がないなと微笑んだ。
「凪、お前、独立を考えているんだろう?」
ハッとして所長を見ると、所長は全てお見通しだと言わんばかりに話を続けた。
「お前が休日も遊びに行かずに金を貯めてるのは知ってるよ。そのウルフを相棒にしたいのか?」
人狼が相棒なんて聞いた事も無いが、人間と同じほど知性のあるロキにとっては、訓練士の相棒など朝飯前だろう。
「出来れば、そうしたいと思ってます」
しかし現実的に考えると…
そう言いかけた言葉を、所長が遮った。
「それなら、いくつか稼がせ方を教えてやる。凪、お前なら独立してもやっていけるよ」
大和は、夢物語であっても、全否定せずに真剣に手段を探してくれるプラス思考な所長を尊敬していた。
「失礼しました」
職員室から出る頃には、辺りはオレンジ色の光に包まれていた。時間が駆け足で走り去るように、みるみる夕日の残り火が山の向こうに沈んで行く。
所長に相談して少し希望が持てた大和は、次の休みにでもロキにまた会いに行ってみよう…などと考えながら外階段を降りると、下に見た事の無い中年男が立っていた。
彼は大和と入れ替わるように階段に足をかけると、すれ違いざまに声をかけてきた。
「あの…所長さんは、この上かぃ?」
50代ぐらいに見えるその男は、ガッチリした体型に鋭い目、そして印象的な茶色い歯をしている。全身茶系の迷彩服を着て、派手なオレンジ色のベストを着ていた。
目を見れば直感的にその動物の考えが分かる大和は、彼のギラギラした何やら画策してそうな目を見て[信用出来ない男]だと感じた。
「はい、所長は職員室です……」
この男には関わらない方が良い…
本能でそう感じた大和はくるりと向きを変えて足早に立ち去ろうとした。しかし男は、大和の背中に振り返らざるを得ない言葉を投げかけた。
「狼を捕まえたんでねぇ」
ピタリと大和の足が止まる。恐る恐る振り返ると、男は茶色い歯を見せながらニヤニヤと笑った。
「ワシは猟師の浜木っちゅー者でさ。下ノ郷に狼調査を依頼してたんだがねぇ、つい先刻、無事に捕獲出来たんですょ。その報告に来たんす。お騒がせしましたねぇ」
そう言うと階段を登り始めた。
「あの! その狼は…!」
思わず大和は声をかけた。
「その狼犬は、僕が飼うつもりでした。何とか譲っていただけませんか?」
浜木の背中にすがるように頼み込むと、男は大和に見えないようにニッタリと歯を出して笑った。ゆっくりと愛想笑いを浮かべて振り返ると、胡散臭い演技で困り果てたように語った。
「そう言われても首輪もしてねぇし、マイクロチップも入ってねぇしなぁ。絶滅した狼が生き残っていたとなると大金になるやろぅしねぇ…」
「あれは! あの狼は、狼犬です。狼と犬とのハイブリッドで、絶滅した日本狼ではありません!」
必死で食い下がると、浜木は1つの提案をしてきた。
「んじゃぁ、今から確認しに行くかぃ? 狼があんたに懐いていれば、あんたのもんだと認めるょ。譲ってやる」
「……分かりました」
大和は朝からの事もあって疲れていたが、所長に飼っても良いと言われた事もあって、ロキを説得に行くことにした。
すっかり夕日も沈んで暗くなってきた駐車場で、お互い車に乗り込むと、大和はエンジンをかけた。ところが、何故か浜木は発進しない。
しばらくすると車を降りて来た。コンコンと窓をノックするのでウィンドウを開けると、
「あすこに所長さんが居るけど、出掛けるって声かけて来なくて大丈夫かぃ?」
彼の指した方を見ると、所長が母屋へ戻るところだった。夜間外出の報告は義務ではないが、報告してこようかと思った瞬間、チクリと首に痛みが走った。
「おやすみ、オスΩ…」
浜木の言葉が終わる前に、大和は意識を失った。
ガチャっと大和の車のドアを開けてエンジンを切ると、眠った彼を肩に担ぎ、浜木は自分の車に乗せた。
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