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 母親は動転しているらしかった。人間、自分より取り乱した相手を見ると、逆に冷静になれるらしい。俺は母親が指を差している階段を見上げた。家の階段は吹き抜けになっていて、二階の廊下から下を見下ろすことができる。その板状の手すりの上で、猫たちがよく丸まって眠っているのだ。俺の視界に映ったのはクロだった。呆れたように顔をしかめてこちらを見下ろしているようにも思える。 「トラ、が……トラが落ちてきたのよ……っ」  顔を真っ青にした母親をよそに、トラは鼻血をたらしたまま平然と床に座っていた。こてんと首を傾げるさまは、自分に起こったできごとが分かっていないようにすら見える。頭を打ったのか? 記憶が飛んだとか? 脳に異常が? 骨は……?  俺はトラを抱え、慌てふためく母親を連れて、玄関の鍵掛けから車の鍵をひったくって家を出た。「いつかはやると思ってたのよ……」母親は思いつめたような声で言って、大人しく腕の中におさまるトラを抱きしめていた。  病院に到着したころ、トラの顔は大きくはれ上がっていて、不安ばかりがふくらんだ。閉院間近だったにも関わらず、急いで診察をしてもらうことができ、その結果、骨などに異常はなく、顔面にたんこぶが出来ただけの軽傷だったということが分かったのだった。  いつかはやると思っていた。母親だけではなく、家族全員が、トラはいつかあの階段の手すりから落ちてしまうだろうと思っていた。それにはそれなりの経緯がある。  トラはリビングのカーテンレールの上を歩いているときに、足をすべられて宙ぶらりんになっていることが何度かあったのだ。カーテンレールだけではない。テーブルや猫タワーに飛び乗るときだって、足を引っかけて上手く乗れなかったこともしばしば。  のろまだとは思っていたが、まさか顔面から落ちるとは想像していなかった。顔がはれあがり、すっかりと不細工になってしまったトラだが、その顔を「不細工だな」と笑い飛ばせるくらいに、家に帰ったトラは、元気に家の中をかけ回っていたのだ。そのたんこぶも、数日後には完治している。
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