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 付き合って二年。このままいけば、俺は彼女と結婚して、どこにでもあるような、ありきたりな家庭を作っていくんだろうと思っていた。そんな未来を破り捨てる彼女の顔を想像する。手首をねじって、びりびりと乱雑に紙を引き裂いていく彼女の瞳は冷たかった。もしかしたら、もう、彼女の中に愛という感情自体がなくなっていたのかもしれない。  そう思い至ったのは、衝動のままに座椅子を買った直後のこと。「三千九百八十円です」と店員が言う。俺はなんだかおかしくなってきて、必死に持ち上がる口角をそれとなく押さえながら金を払った。  三千九百八十円。  たった、それだけ。  俺は、たったこれだけの金を払って、彼女と別れてしまった失望感だとか虚無感だとか、寂しさだとかをどうにかしようとしている。それが、どうにかなってしまいそうだったから笑えてきたのだ。  結局のところ、俺だって、彼女への愛情なんてものは薄々としか抱いていなかったのかもしれない。そうでなければ、座椅子を買ったていどで笑えやしないだろう。  小雨が静かに地面を濡らす中、なんの変哲もない軽自動車に、座椅子の入ったダンボールを押し込んで、俺は家に帰る。今日は朝から雨だった。雨の日は、車で通勤している。  俺は家の車庫に車をとめ、ダンボールを抱えて家に入る。玄関には、誰もいなかった。飼い猫たちには、主を出迎えようとする気すら起こらないらしい。  リビングに入れば、キジトラ猫の『チャチャ』が顔を上げる事すら億劫そうに、しっぽで床をたたいている。足元を猛ダッシュで駆け抜けて行ったのは、黒猫の『クロ』だ。おかえりの挨拶すらない。むしろ、顔を見て逃げられた気すらする。悲しいがいつものことだ。そして、虎猫の『トラ』はと言うと、俺の顔を見るなりピタリと固まっている。まるで、お化けでも見てしまったかのような驚きようだった。
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