二幕の八・似て似つかぬ青年二人と祭囃子

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二幕の八・似て似つかぬ青年二人と祭囃子

会話はさして弾まない。 と言うよりも、続かない。 茶屋暮らしの少年に面白い話のネタはなく、華々しく暮らす華族の青年と共通の話題はなく、あるとしても玉露(ぎょくろ)のことだけで、本人の居ないところであれこれ話すのは品が悪い。 玉露はそこのところの躾には煩い。 自分は紅花(べにばな)を相手に好き勝手旦那連中をコケにした話をするのに、紅花が少しでも陰口めいたことを言おうものなら『口さがない』『陰で噂話に花を咲かすなど卑しい女のすることだ』と厳しく叱るのだ。 それはそれで女が聞いたら怒りそうな台詞であるが、その辺の女よりよっぽど綺麗に装うことのできる玉露が言うと、妙に説得力がある。 玉露は大概において自身のことは棚上げであるが、それは『やれるけどやらない』のであって『やれない』わけではない。 自分はしないくせに相手にはしろと言うのは狡い感じもするが、自分でも出来ないことを相手にさせるのとは違う。 別段、紅花は占部(うらべ)に玉露の悪口や日頃の愚痴を漏らそうなどとは考えていないが、何か余計な口を滑らせても困る。 陰間と客の関係は色恋を模したものである。 恋に駆け引きはつきもの。 いかにも誠実そうな占部が裏で(はかりごと)をしていそうには思えないけれど、玉露の側はあれこれと巧妙な仕掛けをして手ぐすね引いているやもしれぬ。 紅花にはそこの辺りの機微は測りかねるから、うっかり知らぬ間にネタばらししてしまっては大変だ。 紅花は時折ちらりと目線を上げては、隣の占部の様子を窺い、「いいお天気ですね」とか「あとどのくらい走るのですか」とか愚にもつかない内容で話を振ってみはするのだが、占部の返答は簡潔で会話がすぐに断たれてしまう。 どうも占部は子供の相手が苦手なようだ。 と言うよりも、人付き合いそのものが得意でないのかもしれない。 間を埋めるためだけの無駄話ができない性分らしい。 唐変木(とうへんぼく)。または朴念仁(ぼくねんじん)。 という言葉が紅花の頭を過ったが、少年はすぐにその雑念を振り払った。 占部は理知的かつ合理的なのだ。だから無用に言葉を使わないのである。 代わりにそう考えた。 しゃべっていないと息継ぎできないみたく四六時中考えなしに話し続ける猪田(いのだ)みたいなのよりはよほど()い。 あれは多分、口から先に生まれた男だ。
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