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熱くなった少年の頬に、占部の開けた扉の隙間から吹き込んだ風が触れた。
草と土の匂いがする。
それと微かに香ばしいような匂い。
祭りだ。
と紅花は思った。
風に乗って祭囃子が聞こえている。
きっと目的地のそばまで来ているに違いない。
ではやはり、停車したのは予定外のことではなく、到着したためだったのだろうか。
だとすれば、外から扉を叩いたのは誰でなんの為だろう。
不思議に思って再び紅花が身を乗り出すと、ちょうど占部が降車し、その背中の向こう側から意外な人物が顔を覗かせた。
「やあ、久しぶりかな。こんにちは、紅花くん」
「トキワさん」
驚愕とともに名を口にした紅花の声は、意図せず明るく弾んでいた。
占部が車内を振り返る。
その目に微かな感情の色が浮かんでいたが、紅花は気づかなかった。
差し出された彼の手を借り、紅花はステップを踏み外さないよう慎重になりながら馬車を降りる。
「どうしたんですか。トキワさんもお祭りに?」
ペコリと占部にお辞儀した後、紅花はトキワに向かって話しかける。
紅花の右手に占部、その向かいにトキワが立っていた。
どちらも上背が高く、紅花は喉を逸らして見上げねばならない。
トキワはにっこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「お姫様をお迎えにあがりました」
言ってトキワは腰を折る。
片手は胸の辺りに添え、もう片手は腰の後ろに回して軽く膝を折った姿勢だ。
まるで西洋の騎士か執事である。
「おっとっと。――なんてね」
頭を下げたことで彼のトレードマークでもある中折れ帽が落ちかかり、急ぎ姿勢を戻したトキワは、中折れ帽を押さえる腕の向こうから片目を閉じて見せた。
紅花はさっぱり意図が呑み込めずキョトンとする。
「ま、今日の君は『お姫様』って感じじゃないか。そういう格好もするんだね。なかなか新鮮だ」
矢絣の単衣に麻の短い袴、白足袋に下駄ばきの紅花を眺めて言う。
不似合いな自分の姿を思い出して紅花が恥じ入るより先に、トキワの手が気安く頭をくしゃくしゃと撫でた。
紅花は子供扱いの気恥ずかしさとくすぐったさで首をすくめる。
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