幕間の六・探偵と少年と

10/12
前へ
/602ページ
次へ
あの時のことは、紅花はよく覚えている。 元々感情の浮き沈みの激しい玉露であるが、ああも取り乱すのはそうしょっちゅうあることではない。 トキワは何気ない風を装っていたが、あの扇子は明らかに玉露の為にわざわざ用意した品だった。 しかも意味ありげに暦に目を走らせ、それを察した直後に玉露は激怒したのだ。 「何か特別な日だったんですか?」 曖昧にした言葉尻を強引に繋いで、紅花は問いかける。 「ああ」とトキワは回想するように空を仰いだ。 「あれは――うん、まあ、要するに誕生日祝いのつもりだったんだよね」 らしくなく、幾らか逡巡を滲ませながら彼は言う。 紅花は目を真ん丸にした。 「哥さんの」 誕生日。 口の中でオウム返しする。 そんなものあったのかという気がした。 誰しもあって当たり前の自分が生まれた日なのであるが、歳は新年に数えるものであるからさして意識することはなく、紅花も自身の誕生日は覚えていない。 「そう、まあそうだね。玉露さんが玉露さんとして生まれた日、と言った方が正しいのかもしれないが」 歯切れの悪い物言いは、紅花に話して聞かせているというよりも、自身と対話しているようでもあった。 謎かけじみた表現に紅花は首を傾げる。 それからはたと思い至った。 「それって――」 「水下げした日だね」 紅花の言いかけた言葉をトキワが口にする。 遊女が初めて客を取り、閨を共にすることを水揚げという。 陰間の場合は水下げと表現するのが一般的であった。
/602ページ

最初のコメントを投稿しよう!

211人が本棚に入れています
本棚に追加