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「ああ、もうっ。しみったれてるねえ」
脈絡なく玉露がぼやき、その苛立った口調に紅花は一度、背の低い和箪笥の天面を拭いていた手を止めたが、またすぐ自身の仕事に戻った。
玉露は相も変わらずいつもの定位置でしどけなく姿勢を崩している。
ほぐれた髷から幾筋かの髪が垂れているのが、常なら色っぽく見えるのだが、薄暗い窓からの日差しのせいか今朝はやつれた印象を与えた。
「ちょいとあんた、ひとっ走りして銀鍔でも買って来ておくれよ」
唐突な注文に、今度こそ紅花は手を止めて視線を玉露の背中に向けた。
「甘納豆でもあんこ玉でもいいよ。どっか手近な店で買って来な」
「そんなぁ」
嫌ですとは言えない紅花は、不満を声色に宿して訴える。
「のし梅じゃ駄目なんですか」
手近な店でいいならば手前の店のものではいけないのかと、ささやかな抵抗を試みた。
のし梅は今時分に売り出される『梅に鶯』の商品の一つである。
その名の通りに梅味の透明な餡を干した笹葉にのした甘酸っぱい和菓子であった。
涼感のある見た目と爽やかな味わいで煎茶ともよく合い、人気である。
小さく平べったい為、一時にたくさん持ち運べ、日帰りの客などの土産としても売れていた。
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