三幕の二・玄月堂

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「あの」 向かいからやって来る人影に、小走りに寄って紅花は声をかける。 履き潰してすり減り、裸足も同然になった古びた草履。 シワなのか縮れなのか区別のつかないこれまた着古した縮緬(ちりめん)の着物は裾の高さがずれ、片側だけくるぶしまで足が覗いている。 子供の手にはやや重い番傘を両手と肩とで支えた紅花の視界は狭く、 初めに見えたのはそれらのいかにも冴えない特徴を備えた足元であった。 が、そんなことは別にどうでもよい。 むしろ、そんな格好で出歩く観光客もいまいから、道を尋ねるには好都合だ。 振り仰いだところで傘が邪魔して相手の顔が見えぬまま、紅花はこの道が千寿さんであっているかを問うた。 「え? あ、いや、それはその……」 もごもごと相手は口ごもる。 そのはっきりしない物言いと、聞き取りづらい小声に聞き覚えがあった。 「あっ」と口元に手をやりかけた紅花は、重みで番傘が後ろへ傾ぎ、慌てて持ち手を押さえながら相手を仰ぎ見る。 ぎこちなく視線を泳がせながら対面しているのは作家の篠山一新(ささやまいっしん)であった。
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