三幕の二・玄月堂

6/6
前へ
/602ページ
次へ
「玄月堂へ行きたいのですが、道をご存知でしたら教えて頂けませんか」 この道が千寿さんであっているのか、いないのか。 たったそれだけの返答もできない相手に問いを重ねるのもいかがなものかだが、 なかなか話が進まないので紅花は質問を変えてみる。 「あ、ああ、ええ、それなら……」 どうやら先の質問よりは答えやすいものであったらしい。 どういう基準か知れたものではないが、篠山が幾分マシな応じ方をした為、紅花は内心で安堵の息を吐く。 しかしホッとしたのも束の間、 「ま、まずこの道を降ってですね、それから、北側にす、少しだけ逸れて――」 篠山の説明は要領を得ず、どうやら七つ坂で選ぶ道を間違えたらしいこと以外はろくに伝わらない。 だいたい道を説明するのに「少し」だの「やや」だの「ずっと」だの、曖昧な表現を用いるのが間違っている。 加えて言葉が逐一躓きがちだから尚のこと何を言っているのやら。 これが本当に作家の言い草だろうか。 けして気が短い方ではない紅花も、そのまどろっこしい話しぶりに段々痺れを切らしてきた。 表向き熱心に聞き入ってはいるものの、内容はまるで鼓膜を素通りである。 所々意味のわかる文章が混じっていたところで、道順なのだから途中だけわかっても役立てようがない。 『梅に鶯』の店主の親父に教わったより、更にややこしく難解な呪文と化した説明を篠山がようやっと終える頃には、 紅花は意図せず白けた眼差しで番傘の溝を滑る雨粒を追っていた。
/602ページ

最初のコメントを投稿しよう!

211人が本棚に入れています
本棚に追加