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紅花と連れ立って歩き出した篠山は、当初、少年の目的地であるところの玄月堂までの道順を、
まだしつこく、しかもまどろっこしく、説明を続けていた。
が、それもやがて落ち着くと、今度は話題がなくなる。
気まずい沈黙に紅花は幾度か天候の話など、他愛もない世間話を試みたが、
男はまるで打っても響かぬ反応で会話は長続きしないどころか、一往復するのも難しいほどであった。
その内、どこでどう転んだのか、篠山が訥々と自身の作品について語り始めた。
いや、それはもしかせずとも独り言だったのかもしれぬ。
梅雨時の鬱陶しく降り続く雨に、紅花は小豆色の番傘を差しており、
同道する篠山もまた、骨の折れた黒い蝙蝠傘を差していた。
互いの距離は程ほどに遠く、まして紅花はまだ子供。
大人の男である篠山の視界からすれば、紅花の姿は傘だけが歩いているも同然である。
そのせいなのかどうなのか。
「雨の中、傘を差しかけ合いながら……という場面はどうだろうか」などと、
相も変わらぬ聞き取りづらい小声でぼそりと呟いた篠山は、そこから延々、自身の作品に関する思索を声にし始めた。
紅花の返事を期待しているふうではないから、やはり会話ではなく独白なのだろう。
そうしてかれこれ半刻近く、篠山は紅花を伴ったまま歩いていたのだった。
もしや道案内の事は忘れてしまっているのではないか。
幾らなんでも時間がかかり過ぎていやしないか。
紅花は何度もそう思い、声をかけようとしたのだが、実際、「あの」や「旦那様」などと声を投げてみたりもしたのだが、
篠山は「ああ、はい」とか「ああ、すみません」とか言ってはまたブツブツと独り言に戻ってしまう。
難儀なことだ。
そうこうするうち雨脚が強まり、東屋に軒を借りる現在へと至ったのであった。
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