幕の裏の六・玉露

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日当たりが悪いどころか、左右どちらも襖やら障子やらで一向(いっこう)陽の射さない黴臭い廊下を渡り、 急すぎる傾斜の階段で階下へ向かう。 二階よりは明るい廊下を一旦、奥へと進み、風呂の沸いていないのを確かめてから引き返した。 当たり前である。 玉露の為の風呂を焚くのも紅花の仕事のうちなのだから。 さっき降りてきた階段は素通りして、表の甘味処としての店へと足を運ぶ。 しどけない格好のまま珍しく顔を覗かせた玉露に、 暇を持て余した表情でボサッと突っ立っていた店主の女房が何気なく暖簾を振り返って目を剥いた。 「あんたッ、何やってんだいそんな身なりで」 「喧しい女だねぇ。キャンキャン喚いて子犬かなんかかい。みっともないったらありゃしない。歳を考えな」 逐一罵詈雑言を挟まずおれぬ玉露である。 自分より余程みっともなく化粧も着物も崩れに崩れた相手に言われ、店主の女房は口をへの字に曲げて小じわの目立つ頬を痙攣させた。 無論、玉露は気にも留めない。 「なんだい、その不細工な面は。幾ら枯れかけだって女が女を捨てたら終いだよ。あたしほど綺麗にゃなれないにしても、あんただって手入れすりゃ多少は見られる顔になるんだろうしさ」 などと悪びれもせず煽る始末。 男に言われたのでは女房も立つ瀬がない。 しかし実際、化粧の崩れた現状はさておき玉露の客前での美女ぶりの見事さときたら反論の余地はなく、女房は恨めし気な目線で睨めつけるに留めた。 「ところであんた、うちの間抜けが何処まで行ったか知らないかい。幾ら鈍間だって帰りが遅過ぎるってもんだろ。  まさか銀鍔買うのに京都奈良の菓子司を訪ねるわけじゃなし。あの馬鹿は性懲りもなく迷子にでもなっちまったのかねぇ。それとも、またぞろどこぞの愚息とやらに絡まれてんのか。  あんた、ひとっ走り探して来ておくれよ」 「あんたねぇ……」 一応こちとら雇い主である。 そこのところ弁えてくれているのか。 と、そんなようなことを言いかけたのであろうが、結局、声にしないまま店主の女房は呆れたような諦めたような仕草で首を振った。
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