三幕の五・動転

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「立派なもんだ」 言った言葉に、 「哥さんに褒められるなんて気持ち悪いねぇ」 と、玉露が哂うより先に、 「だがな、俺の目は誤魔化しきれねぇぞ」 鳳ノ介は耳元で告げた。 抱きすくめられた体がびくりと跳ねるのが、鳳ノ介の腕に伝わる。 紅い唇がわなないて、口惜し気に閉ざされた。 眼差し、手つき、声色、座った脚の折り曲げる角度や膝の重なり、腰の位置、着物の裾の流し方、髷に飾った簪の揺れる具合や、肌に落ちる影の深さまで、 頭の先から指の先までなどと生ぬるい程、凡そ風情と呼ばれるものに起因するすべての要素に気を配り、 思いのままに自身の望む雰囲気を作り出せるよう装う術を鳳ノ介は小僧時代の玉露に教え込んだ。 教え込んだというより、むしろ叩き込んだ。 故に、よく出来ていると褒めてやることができる。 先の失態を取り戻そうと、或いは誤魔化してやり過ごそうと目論んで、鳳ノ介を誘う玉露の姿態は実に見事なものだった。 完璧に近い。 近いけれども、完璧ではない。 微かばかりの気の行き届かなさ。 玉露ならばもっと上手くやれるはず。 そうした印象によって、鳳ノ介は他の誰かならば気づかないだろう、ほんの僅かな綻びを感じ取り、 その目が自身を見ているようでどこかへ素通りしていること、交わす言葉に心が籠り切っていないこと、 つまりは玉露が上の空であることを見抜いてしまえる。 だから先刻、鳳ノ介は叱ってやるつもりで呼びかけ、手を振り上げもした。 が、その掲げられた手の平をハッとした表情で見上げる玉露の双眸が、その黒々とした瞳が、 それでもなお、まだ目の前にあるものを捉え切っていない感じがして、鳳ノ介は折檻を与えることをやめて抱きしめたのだった。 その感覚は、今この瞬間も大きく変わってはいない。 心ここにあらず。 腕の中で跳ねた体も、肩口に触れる息づかいも、当惑した眼差しも、鳳ノ介に触れている玉露のすべてが玉露のものであって玉露の元にない。
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