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「そりゃ、お前さんは矜持も理想もあるご立派な陰子だろうがね。うちもお陰様で儲けさせて貰ってるし文句もねぇよ。
けど、コイツはうちで買い受けたもんだ。お前さんとは違って元手がかかってる。売り物にしないうちに駄目にされちゃあ困るんだよ。
いずれ舞台に上がるわけじゃなし、そこそこの客が取れるように躾けてくれさえすりゃいいんだから、ちっとは手加減してくれないかね」
そんなように店主は続けた。
道理である。
当時の鳳ノ介は返事だけは色よく返して、実際には情け容赦ない躾をした。
愛あってのことではない。
同情も憐憫も鳳ノ介に持ち合わせはなかった。
聡明であるがゆえに愚かで、器用さゆえに不器用さの明白な子供に、思うところは特段なかった。
壊れたならそれまでのこと。
その程度のものに金を払った店主の見る目がなかっただけのこと。
責められたとて知ったことではない。
そんな淡々とした心持ちで、臥せった彼を枕辺で見下ろしていたのを覚えている。
あの頃の脆い面影が、繊い翳りが、歳月を経た玉露の美しく強かに変貌を遂げた面に淡く滲んでいる。
玉露は静かに眠っていた。
今や鳳ノ介のものではなく、彼のものとなった部屋で布団に寝かされ眠り込んでいる。
彼のこんな寝顔を見るのはいつぶりか。
鳳ノ介は絹ずれを立てずに手を伸ばし、富士を描く秀でた額に微かに触れた。
熱はない。
単に眠っているだけだ。
彼は客室での鳳ノ介とのやり取りの後、急に昏倒してしまったのである。
さしもの鳳ノ介も一瞬は何事かと目を瞠ったが、かつての記憶が蘇り、これはとうとう糸が切れたなと合点して部屋を移したのであった。
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