三幕の六・暗転

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「なあ」 声をやったが返事がなかった。 玉露にかけたと思ったか。 そう考えて隣を見ると、少年は心配そうな表情を浮かべながらもうつらうつらと舟を漕いでいた。 玉露の眠る隣には一回り小さな夜具が床延べられている。 紅花が抜け出した時の形が残っていた。 夜間に仕事する玉露と違って、陰間見習いの紅花は昼間に夜の片づけや掃除やと立ち働く。 夕刻までに玉露の仕度を手伝い、夜は休みだ。 常なら寝入っている刻限である。 変事に動転したとはいえ、当の玉露がただたんに眠っているだけとなれば多少なり気が緩んだのだろう。 眠気を催しても無理からぬ。 無理からぬけれども、呑気なことだ。 熱もなければ病気でもないとなれば、つまり玉露は疲労困憊して倒れたか心労に伏したことになる。 心労、などとこの男に最も似合わぬ類の言葉ではないか。 少なくとも、紅花にはそう見えているはずである。 その玉露が今まさに気苦労で倒れているというのに、看病しているつもりで居眠りとは。 それだけ相手を頼りに思っているのだ。 寄り掛かっていいのだと、安心して身を預けても支えてくれる柱だと、そう信じて疑っていないのだ。 おんぶに抱っこの甘ったれ。 聡くて繊細なのも面倒だが、鈍感で愚昧なのは猶のこと厭わしい。 鳳ノ介の目が剣呑な光を宿す。 「なあ」 もう一度呼びかけて、鳳ノ介は眇めた眼差しを紅花に注いだ。 玉露の額に触れていた手を離す。 しゅるりと絹ずれを立て、鞭のごとく撓る腕を伸ばした。
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