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幕間の八・院にて
カラカラと車輪が鳴る。
今時珍しくなった日本髪を結い上げた幾分大柄な女と、
中折れ帽にスカーフ巻きと小洒落た様相をした身軽そうな男を乗せた俥は、
やけに白々と四角い大きな建物の前に着けられた。
日本髪の女が洋装の男の手を借りて地に降り立つ。
女は眩しそうに目を細くして建物を仰ぎ見た。
実際、盛夏の日差しを照り返し、四角四面な白壁は発光しているかの如くである。
しかし、よくよく見れば女の顔に浮かんでいるのが、単に眩しい故の表情にしては忌むような歪みを帯びているのに気づくであろう。
目を細めているのではなく、眇めているのだ。
尤も、弁えのある俥夫は金子を受け取ると早々に場を去り、装いの違う男女の用向きに好奇心を窺わせることはない。
目を眇めた女は憂さ晴らしとばかりに、裾の合わせ目からちらりと足袋に包んだ足を覗かすと、漆塗りの艶やかな履物の硬い底で隣に立つ男の足を踏みつけた。
「酷いなあ、結構気に入ってるのに」
僅かな土ぼこりと共に傷のついた靴を見下ろし、男は痛いと悲鳴を上げるでもなく飄々とした口ぶりで文句する。
履き古した革靴は、それでも大事に手入れされているとみえて、趣深い光沢がある。
が、それも今しがた踏みつけられたせいで片側のつま先が汚れていた。
胸元からひょいと取りだした手巾で男がそれを拭う間に、女はさっさと歩き出す。
建物の手前の大袈裟な門扉を抜けようとして、しかし思い直したように踵を返した。
「やっぱりやめだ。こんなの柄じゃないよ。初心な時分からさんざ可愛がって貰った大店の爺様が亡くなった時だって弔問しやしなかったのにさ」
「葬儀と見舞いを一緒くたにしないで下さい。顰蹙ですよ」
「ヒンシュクもチンクシャもあるもんかい。こういう場所は娼妓の来るところじゃないんだ。呼びつけられたってならまだしも、勝手に邪魔していいはずないだろ」
「ついでだから寄ってみようと仰ったのはそちらでしょうに」
「気の迷いだね。もう忘れたよ。いつまでも過ぎたことを抜かすなんて男らしかないね。そんなだからいつまで経っても嫁の一人も貰えないんじゃないかい。とっとと片付いちまいな」
ああ言えばこう言う。一言われれば十返す。
ぽんぽんと飛び出す言葉で女は男を遣り込めて、フンっと鼻息荒く吐き出すと、来た道を引き返し始めた。
と言って、今しがた俥を降りたばかりで十歩と歩かぬ距離である。
が、当然ながらすでに俥も俥夫も居はしない。
当たり前のことを当たり前に確認した女は、苛立つことにも疲れた風情で肩を落とした。
その足元がふらりとよろめく。
日頃、日に当たらぬ暮らしに慣れた体に盛んな暑気が堪えたか。
すぐさま男が駆け寄って、前のめりになる躰を抱き寄せた。
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