四幕の二・炎天

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四幕の二・炎天

青色セロファンにすっかり魅了された紅花(べにばな)は、 いつの間にやら玉露(ぎょくろ)が外出していたらしいことに、彼が戻って来てから気づいて甚だ驚いた。 よもや襦袢のまま出掛けたはずもないから、玉露は一旦自室に戻って着替えを済ませて出て行ったのだが、 それにも気づかずいたとは少年の熱中ぶりが窺える。 「よほど気に入ったみたいじゃないさ。いっそその無暗に大きな目ん玉にでも貼り付けちまったらどうだい」 よそ行きの比較的地味な藤色の着物を玉露が雑に脱ぎ散らかすのを、紅花は慌てて受け取りながら小さく頭を下げた。 「お手伝いもせず、すみませんでした」 「構やしないよ、呼ばなかったのはあたしの勝手だ。それより風呂だよ。すっかり汗かいちまった」 「すぐにお願いしてきます」 日頃の躾はどこへやら、バタバタと慌ただしい足音をたてて紅花は階下へと向かう。 取り急ぎ湯を沸かすよう店主の親父に申し伝え、また駆け足で二階に戻った。 それだけで肌に汗が滲む。 セロファン越しの青い世界に夢中のうちは忘れていた暑さが、ぶり返した。 ましてや二階は風通しも悪く、蒸れた暑気が充満している。 それぞれの部屋の窓は開け放っているものの、廊下と仕切る襖のせいで台無しだ。 紅花が部屋に戻ると、玉露は窓際の文机の前でしどけなくなっていた。 「トキワさんとお出掛けだったんですか」 取ってきた手拭いを差し出しながら紅花は問う。 玉露に受け取る気配がないので、手拭いは畳んで机に置き、近くにあった団扇を拾って風を送った。 二人揃って戻った様子はないので、今夜の客がトキワで日中の遊びに誘われたという訳ではなさそうである。 そもそも、トキワの(おとな)い事態が予定外の出来事のようだった。 「ああ、ちょいと買い物をしにね。猪田(いのだ)の差し金だよ」 億劫そうに玉露が返事を寄越す。 横槍のごとく出てきた名前に紅花はキョトンとした。
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