四幕の二・炎天

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机と接している面が暑くなったか、玉露がのそのそと身を起こして向きを変える。 大きく衿を割り開き、惜しげもなく晒した胸元に紅花の送る風を受けながら、文机を背にふんぞり返った。 投げ出した足の筋張った辺りに滲んだ汗がツウと伝う。 「なんでも出世祝いだと。篠山(ささやま)の旦那が文学賞だか文芸賞だか獲ったんだってね。三文小説家から文豪の仲間入りに出世なさるんだとさ」 「はあ、それはお目出度いことで」 作家先生とは名ばかりのあの貧相な御仁が文豪とは。 似つかわしい気がしないと思えども口には出さない賢い紅花であったが、つい反応はいまひとつとなる。 玉露もさして喜んでいるふうではなかった。 猪田に紹介されて以来すっかりハマってしまった篠山は、どうにも貧乏そうであるのになんやかやと店に通って上客の一人となっていたので、随分と借金でも抱えているのではないかと思えたが、 賞を取ったのなら賞金も出るのであろうし、執筆の依頼も舞い込むであろう、支払いの目途が立って一安心。 と、玉露の様子からはせいぜいその程度の感慨で、格別祝っているふうはない。 客の途切れた例のない彼であるから、客の一人が出世したところでさして興味をそそられないのであろう。 「それでどうしてトキワさんが?」 「そこだよ。まったく、あの男、気が利かないくせに妙な知恵は回るんだから厭らしいねぇ」 急に玉露が息巻いたので、紅花はびっくりして意味もなくのけ反った。 「猪田からの用向きってのは、篠山の旦那の出世祝いを買ってやってくれないかって、表向きはこうだよ。けどそんなの自分で言やあいいじゃないさ、今夜だって会うんだしさ」 「今夜は猪田の旦那様のお相手で」 「そうだよ、言ってなかったかね」 聞いていない。が、そこは言及しても仕様がないので、紅花はお茶を濁して返事する。 「ではどうしてトキワさんを使いに?」 「わからないかい」 言って玉露は馬鹿にした態度で鼻を鳴らした。 少しは考えろと言うことらしい。 男の行為の真意を探り、意図を汲み取って、無言の要求に巧みに応える。 娼妓として身を立てるなら必要な技能である。 これも修行の内と紅花は思考を巡らせてはみるものの、首をひねるばかりで思い至ることはない。 概ね素直な少年には難しい問題だ。
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