四幕の二・炎天

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「ところで、贈り物は何になさったんです?」 四半刻のち、湯上りの肌の火照りの収まるのを待って、紅花は玉露の仕度を手伝いながら訊ねた。 鏡に向かう彼の背に立ち、手には刷毛を握っている。 自身では手の回らぬ首の後ろの白粉を塗っている最中であった。 「はんッ、手職(しごと)しながら無駄口たあ、あんたも器用になったじゃないさ」 言うなり、玉露が振り返ったので、紅花は慌てて肌にあてていた刷毛を引っ込めた。 咄嗟に謝罪が口を突きかけるが、少年が声にするより先に、(まなじり)高く切れ上がった流し目が睨みを効かせて一蹴する。 鼻を鳴らして鏡に向き直った。 紅花の位置からは、文机に据えた楕円の鏡面の中に、玉露の顔半分だけが映りこんでいるのが見える。 白く塗りこめた肌に気色は伺えないが、口元は笑んでいるようだった。 皮肉を込めたそしりを受けたものと思ったが、どうも言葉通りの褒め言葉であったらしい。 ……と、単純に喜ぶには、日頃の玉露の悪態ぶりが酷過ぎる。 紅花はどちらに受け取ったものか、開きかけた口を曖昧に閉ざしながら、意識を手元に集中させることにした。 すうっと滑らすように刷毛を動かし、膚を撫でて白く染めてゆく。 ただ塗り潰せばよいというものではない。 美しい山形を描くには、筆をスッと抜く力加減が肝要だ。 抜いた衿の内側にちらちらと覗く項から背にかけての線が色香を漂わす、その演出に一役買うのが、くっきりと、且つ流麗に塗り分けられた白粉と素肌の対比なのである。 真面目に仕事に取り組みなおす紅花に、鏡の中の玉露の唇が微か口角を上げた。 少年が一仕事終えるのを待って、玉露は先の質問に答えてやる。 「襟巻(えりまき)だよ」 「えり……?」 使い終えた化粧道具を螺鈿のきらめく漆塗りの箱へと整えていた紅花は、すぐには言葉の意味が呑み込めず、目を瞬かせた。 「襟巻って、あの襟巻ですか? 首に巻く?」 「ほかにどの襟巻があるってんだい。腹に巻いたら腹巻になっちまうじゃないさ」 冗談とも本気ともつかぬ玉露の返事に、無論それはそうなのだが、そういうことではないと、紅花は腑に落ちぬままであった。 只今の時節は夏である。 それも一等暑い盛りである。 その折に襟巻の贈り物とはこれ如何(いか)に。 もしや嫌がらせであろうかと紅花は思った。 回りくどい手法で褒美を強請ってきた猪田への意趣返しであろうかと。 さしもの猪田も真夏に防寒具を送られては、喜び勇んで身に着けて見せるわけにもゆくまい。
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