四幕の二・炎天

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「これだからあんたは浅はかだって言うんだよ。知恵ってものがまるで足りないね」 珍妙な表情(かお)を浮かべている紅花を見た玉露が、凡そを察してか、 頭の中が伽藍洞だの、仏舎利でも詰め込んじゃどうかだの、口から出まかせに言いたい放題する。 一頻り馬鹿にする言葉を並べ立てたのち、 「すぐにゃ使えないからいいんじゃないさ」 と、ようやっと訳らしいことを告げた。 「半年先も変わらずあんたを好いているよ、だからそれを着けて会いに来ておくれね。――ってなもんさ。転じて、ずっとずっと先まで一緒だよってね」 なるほど。 時節外れの贈り物もまた、色恋を模した遊戯の小道具、客の気を引く娼妓の手管の内なのである。 が、しかし。 「今さら、猪田の旦那様に必要でしょうか」 紅花の知る限り猪田は玉露の昔からの太客の一人である。 何しろ、紅花がここ『梅に鶯』に身を寄せる以前からの馴染みなのだ。 尤も、玉露の客は殆どがそうで、新手の者で目立った上客というと(くだん)の篠山と青年将校の占部(うらべ)くらいであろうか。 つまりそれだけ、彼が年季の入った熟練の陰間ということである。 そんな練達した師匠の遣り様に、たかが数年、見習い修行をしているワッパが疑問を差しはさむものではない。 ついと要らぬ口を滑らせた紅花は、キッと鋭く()めつけられ、子亀の如く首を竦めた。 「ま、あんたの言いたいことも分かるけどね」 わざとらしく取り急ぎその場を離れて、着物の仕度に移る少年を眺めやりつつ、玉露は意外にあっさり矛先を収める。 「どっこいしょ」と年寄くさい掛け声を発して重い腰をあげた。 玉露が全身の映る姿見の前に移動するのを待って、紅花はすぐさま着付けに取り掛かる。 緋色の派手な襦袢の崩れを直し、絢爛な衣を順に着せていった。 その手際を厳しい批評の目で観察しつつも、態度ばかりは投げ遣りに、玉露はされるまま飾り立てられてゆく。 そうしながら、いい加減な口ぶりで話を続けた。 「確かに、今さら初々しいごっこ遊びに耽る仲じゃないさね」 またぞろ余計な口を利いてしまっては(まず)いと、紅花は短い相づちを打つ。 玉露はそんな少年の殊勝ぶった態度を眺め下ろして、僅かに口元を緩ませた。 無意識であろうか、彼の男のものにしてはたおやかで、しかし女のものとも違った線を持つ、手入れの欠かされたことのない指先が帯締めに飾られたトンボ玉を弄り回している。 「けど、今さらだからこそ、火が付くってこともあるんだよ」 つまりどういうことなのか、理解が及ばず紅花は玉露を振り仰ぐ。 ポカンとした。 見上げた玉露の白面に、なんとはない憂いを見出したのである。 紫を刷いた目元の、切れ上がった眦の線の僅かな違いか、或いは仄かに伏せた睫毛の落とす長い翳の具合か、 はたまた視点の定まっているようで定まり切らぬふうな黒々と潤んだ()つきのせいか、それとも帯締めの(たま)を弄ぶいじらしいような仕草のためか。 どこがどうと言い難かったが、儚い風情に見えた気がした。 珍しいことである。 物珍しさについポカンとしてしまう程だ。 と同時に、少年の背中の辺りにむずむずと這い上がるものがあった。 それは怖気(おぞけ)に似て、膚を粟立たす種類のものでありながら、じわりと汗を滲ます火照りを帯びたものである。 そうして尾骨から項に達すると、チリチリと産毛を焦がす類のものだった。 しばしぼうっと手の止まった紅花に、玉露はチラと目線をやる。 不意にそれまで風情が霧散して、彼はニタリと厭らしく笑みを刻んだ。 「あたしの色香に()てられるたあ、あんたも見所ができてきたじゃないさ」 言って、玉露は紅花の切り揃った前髪に隠れた広い額を小突く。 ハッとした紅花は、途端に顔を赤らめた。 戯れに仕掛けた娼妓の(わざ)に、まんまと弄ばれた正直者の少年である。 玉露にとっては弟子同然の見習い小僧も手慰みの帯締めの珠も、似たり寄ったりの玩具みたいなものなのかもしれない。 なんにせよ手玉に取ってしまう、そういう男なのである。 「ま、要するにさ、今さらになってらしくもない熱っぽい仕掛けをされるとね、逆に心在らずの誤魔化しなんじゃないかって、不安がわいてくるもんだろ? ねんごろに馴れ過ぎた相手にゃいい刺激って魂胆さ」 手の内を明かして玉露はカラカラと笑った。 今だ冷めやらぬ紅花は、頬を朱色に染めたまま、豪気をのたまう玉露を見上げる。 一応のところ猪田を祝ってやる気はあるらしく、常以上に華やかさの際立つ金糸と朱色の錦が綾なす紅蓮にも似た打掛を羽織った彼は、嫁入りしてゆく姫君の如く実に(あで)やかで美しかった。
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