四幕の三・烈火

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四幕の三・烈火

その夜、紅花(べにばな)玉露(ぎょくろ)の目論見のものの見事に的を射貫くのを目にすることとなった。 猪田の興奮ぶりの物凄まじいのである。 名にあやかっての猪突猛進ぶり、などと、笑えもしない冗談が頭を掠める隙もない具合であった。 無論、猪田は玉露と二人きりであるはずの閨の秘め事を、年端もゆかぬ少年に覗き見されていようとは思いもよらない。 が、薄い障子、襖で仕切られているだけの茶屋のこと、派手な物音を立てれば二階の廊下は愚か階下にまで響くのは知れたこと。 隣室に眠っているはずの紅花の耳に届かぬはずはなく、元より猪田に構う気などなかったのであろう。 それほどに余裕を失していた。 そんな男の痴態ぶりを、紅花は玉露の私室ではなく、より(しとね)に近い秘密の小部屋から、障子紙を透かして目にしたのであった。 別段、玉露の手腕の成果を確かめてやろうなぞと分を弁えぬ高邁な考えを起こしたわけではない。 が、まあ、受け取りようによっては似たようなものであったやもしれぬ。 要するに気掛かりだった。 そこでじき、寝付けぬ布団を抜け出し、様子を窺うために小部屋へと忍び入ったのである。 それと言うのも、玉露の思いがけない根回しのせいであった。 夏の長い日も沈み、幾分暑さも和らぎ始めた刻限であった。 約束通りに猪田は意気揚々と『梅に鶯』を訪れた。 この男にしては些か遅めの時刻の席である。 自身の担当する作家が賞を獲ったことで何かと忙しいのか、それとも単に偶々(たまたま)忙しいその日にしか玉露の空きがなかったのか。 そこのところは紅花の知ることではない。 なんにせよ、紅花は時刻を気に掛けるどころではなかった。 と言うよりも、もはや何事も考える余地がない。 ただただ目を白黒させながら、粗相のないよう振る舞うのが手いっぱいであった。 猪田の前に、先客があったのである。 それが、よりにもよって鳳ノ介(おおとりのすけ)であった。 しかもただの先客ではない。 娼妓が一晩に立て続けに客を取るのは珍しいことではなく、若いうちなどは三人四人と相手取ることもままあることだ。 とは言え、玉露はそうも安い娼妓ではないし、花柳界が苦界と呼ばれた時代でもない。 鳳ノ介が先客として現れたのは、猪田と相席する為であった。 無論、猪田が呼んだのではない。 小細工をしてまで玉露に労われようと喜悦に期待を膨らませている男が、世間も羨む色男の歌舞伎役者を相席に呼んだとしたら、それは大馬鹿野郎である。 自分が霞んでしまうことくらい、ちょっとも考えずとも分かりそうなものだ。 尤も、かつて篠山(ささやま)を紹介するにあたり、場を華やがせようと要らぬ気を回して鳳ノ介を呼び寄せたことのある猪田であるから、絶対にありえないとも言い切れなくはあるのだが。
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