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「今宵は何やら祝いの席と窺いまして、不粋を承知でお邪魔致した次第」
「あたしが呼んだんだよ。あんたの為だって言ったら忙しい間を縫って駆けつけてくれてね。嬉しいじゃないさ。あんたの人徳が窺えるってもんだよ、自慢の旦那だねぇ」
鳳ノ介が口火を切り、玉露が耳やわらかに嘯く。
日頃、何かにつけて気の利かない猪田によい感情を持ち合わさぬ紅花も、さすがに憐れみを覚えた。
どこからどう見たって、玉露と鳳ノ介はこれ以上なく似合いの二人である。
猪田の味わう敗北感たるや……。
と、思われたが、意外にも猪田はそれを聞くと、パッと顔色を明るくした。
どうやら額面通りに受け取ったらしい。
無神経ここに極まれり。
厚かましいのもここまでくれば、もはや無敵なのやもしれぬ。
恐らく期待したのと違った反応だっただろうに、玉露は鼻白んだ様子もなく、さも満足げに頷いて、猪田のための席を空けた。
猪田が厚顔無恥なら、玉露も玉露で面の皮が鉄壁ほど厚い。
なんとはなしに気疲れを感じる紅花をよそに、宴席が始まった。
猪田の編集者としての辣腕ぶりを、実際のところはまるで知りもしないというのに、玉露が我がごとのように自慢げに鳳ノ介に語って聞かせ、
猪田は喜色満面、鳳ノ介の感心したふうな褒め言葉を受け取っている。
まったく謙遜も臆面もないそのさまは、ある意味で無邪気で微笑ましくもある。
猪田の唯一の美点であろう。
しばし鳳ノ介の脇に控えてお酌していた紅花は、玉露に命じられて屏風を背に舞を披露目した。
と言っても、三味もなく、扇を手にした少女と見紛う少年がちょろちょろと舞っているだけだから、特段の華やぎもない。
それでも猪田は上機嫌で、
「おっ、おチビちゃん、いいねぇ。可愛いよ。お上手、お上手」
などと、まるで拍の合わない合の手で初めは囃し立てていたが、そのうち酒気と会話に夢中となり、見向きもしなくなった。
けれども紅花が手を抜くことはない。
頭の中で三味の弦の鳴るのを浮かべながら、丁寧に型を舞う。
ちらとも目線を寄越さない玉露が、しかし確り出来を見定めているのを知っていた。
鳳ノ介は猪田と玉露の仲を割らぬ程度に口を差し挟みながら、寛いだ様子で手酌していた。
だがその目は一向酔っていない。
皮肉めいた笑みを湛えて時折ちらりと玉露と目配せするさまは、かつての弟子の、或いは愛児の、悪戯に付き合ってやる情夫の余裕を窺わせた。
仔細は得ずとも玉露が猪田に何やら仕掛けていることは先刻承知なのだろう。
頃合いを見計らい、鳳ノ介は暇も告げずに席を立った。
延々伴奏もなく舞わされていた紅花が、お見送りしようと扇をたたむ。
近寄った鳳ノ介はそれをスイと奪って、腕をもたげた。
一瞬、紅花は身を堅くする。
打たれると思ったのだ。
舞の稽古で出来が悪いと、玉露は情け容赦のない手で紅花を打ち据える。
折檻だが躾である。
未熟さは痛みをもって思い知らされる。
幼さは言い訳にならない。
紅花の生きるのはそうした世界である。
しかしいかな大哥様といえども、客である鳳ノ介が、ましてや他の客の居る前で、かような振る舞いをするはずもない。
もたげられた片腕は、絹ずれを立てて滑らかに降ろされ、閉じた扇の骨をぴたりと紅花の背骨に添えられた。
「足腰の鍛えが足りないな。芯が据わっていないから背筋が歪む。当分そこで練習していなさい」
添えた扇をぐっと押し当て、紅花の背筋の伸びきっていないのを直すと、鳳ノ介は低めた声で助言を残し、颯爽と座敷を後にした。
取り残された紅花が見送り損なったことにハッとなる頃には、廊下を渡る足音さえも既に絶えた後だった。
取られた扇が袂の中に返されている。
重みで気づき、手を差し入れると、扇の他に懐紙に包んだ金子が見つかった。
おひねりである。
初めてのことであった。
戸惑いと嬉しさに頬が熱を帯びる。
思わず玉露のほうを見やると、彼はまったく素知らぬ顔で猪田の相手をしていた。
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