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「あ、哥さん⁉」
まさか助けを求めている当人が自ら飛び出してくるとは思いがけない。
玉露とて男であるから相応に腕力はあるだろうが、いきり立った潮の腕を振りほどくのは生半なことではないだろう。
何より、玉露自身に拒む意思がない。
本意ではないにせよ、潮に組み敷かれることについて彼は押し切られるを良しとしている。
紅花には全く腹立たしく度し難いことであるが、その方が万事上手くゆくと言うのが玉露の論なのだ。
その玉露が逃げおおせて部屋を出てくるとは、
よほど潮が酔いに酔っていて正体を無くしているか、はたまた玉露をしても許容しがたい程の暴力行為に及ぼうとしたのか。
驚き、混乱した頭で判断のつかぬまま、紅花は開け放たれた襖の内を覗き見ようと首を伸ばす。
その間にも玉露は少年の背後に回り、自分よりよっぽど小さい体を盾にする始末だ。
「厭だよぅ。出てっとくれよぅ」
と、まるで子供のように気弱く語尾を伸ばして怯えている。
こんな玉露を見るのは初めてのことだ。
しかし室内を覗いた紅花は、ますます混乱した。
潮が居ない。
潮以外の予想だにつかぬ悪漢が仁王立ちしていると言うこともない。
つまり、誰も部屋には居らぬのだった。
「哥さん?」
わけがわからず、紅花は自身の背中に隠れて蹲っている玉露を振り返る。
最前まで午睡を貪っていたのだろう、彼の髷は歪んでほつれ、項の辺りに黒々と汗で後れ毛が貼りついている。
だらしなく着崩れた襦袢の衿は大きく垂れ下がり、丸めた背中の膚までが覗けていた。
意外なほどに筋肉質な肩甲骨周りに窪んだ背骨、そこを一本の川を下るようにつるつると汗が滑り落ちてゆく。
元より殆ど熟睡をしない玉露であるが、これでは随分寝苦しかったことであろうと、
困惑の余り全然関係のないことを考えかけた紅花の耳に、ブゥン……と聞き慣れない音が届いた。
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