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「ヒィッ」
途端、玉露が悲鳴に喉を引きつらせる。
一瞬耳元を掠めた音は、ブゥンブゥンと唸りながら遠ざかった。
目で追うと、蜂である。
脚の長い縞模様の蜂が一匹、玉露の部屋を我が物顔で飛び回っていた。
「ひええっ」
ようやく事態を呑み込んだ紅花も、途端に間抜けな悲鳴を上げる。
思わず身をのけ反らせた拍子に、べたんと廊下に尻もちをついた。
すぐさま後ろを振り返ると、幸いなことに玉露を踏みつけにはしてしまわずに済んでいた。
と言うよりも、すでにして玉露は逃げていた。
それも、蹲っていた姿勢からそのまま四つん這いに廊下を奥へと進んでいる。
まさに這う這うの体。
威厳もへったくれもなければ美しくも色っぽくもない無様さで、バタバタと廊下を這った玉露は、一番奥の部屋に逃げ込むとピシャンッと力いっぱいに襖を閉じた。
日頃、客前に出ていない時の彼のだらしなさもズボラさも見慣れている紅花も、あんまりのみっともなさにただ唖然として見送る。
鬼の霍乱。泣きっ面に蜂。
こういう場合、どの諺が適切だろうか。などと、てんでどうでもよいことを思う。
そこに、
「なに間抜け面晒してんだいッ。とっととどうにかおしッ」
と、一寸だけ襖を開いて目だけ覗かせた玉露が、奥の間から声を張る。
言うだけ言うと、またピシャンッと襖を堅く閉ざした。
豪気、剛胆、怖いものなしに思える玉露にも怖いものはあったらしい。
「どうにかって……、そんな無茶なあ」
蜂の退治の仕方など陰間修行に入っていない。
と、見習い陰間の少年は情けない声を零して、ブンブンと荒ぶる蜂の姿を見上げた。
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