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四幕の五・
もっとずっと幼い頃、熱を出すと、大根の汁を呑まされた。
貧しくて薬なんぞ買えなかったし、そもそも医者が居なかった。
氷嚢なんてあるはずもない。
氷室がないのだ。
氷を贅沢と考える発想すらなかった。
氷は冬に張るもの、雪は冬に降るもので、厄介なもの。
冬以外の季節まで取っておいて役立てようとは考えもしない。
貧しさは人を枯らす。
知恵も、情も、枯らしてカラカラに乾涸びさす。
空っぽにする。
不足から叡智が生まれ、貧しさから創造がなされるなどというのは、ある一定水準、最低限が満たされた上での話に過ぎない。
心底貧しく、足りないものしかなければ、もはや人はそれを満たす努力を忘れる。
無いままに、枯れていく。
そんな取り留めもないことを紅花が考えていたわけではないけれど、
それに似たことをなんとはなしに肌で感じて思ってはいた。
病院である。
病院というところに紅花は初めて来た。
実際には『来た』のではなくて、気づいたら運ばれて来ていたのであるが。
スッテンコロリン。
昔話の翁も吃驚な見事なまでの転びっぷりで店の階段を落っこちた紅花は、
頭を強打して気を失ってしまったのである。
物音に驚いた玉露が蜂を警戒しつつも這い出してきて廊下を見渡すと、そこに頼りの綱の少年の姿はなく、
もしやと思って階下を覗くと、階段下の廊下に大の字で伸びていたという訳だ。
それを、病院で目覚めたのちに聞かされた紅花は、酷く恥ずかしくて赤面した。
と同時に、そんな話を今ここで玉露に聞かされていることを意外に思った。
紅花が目覚めるまで、彼は付き添ってくれていたのである。
玉露はそれを、「あんまり馬鹿なことをするもんだから、一言文句を言わずには帰れやしない」せいだと語ったが、その言葉を真に受けるほど紅花は鈍感ではない。
心配してくれたのだ。
それにしたって玉露のことだから、心配しているふうなどおくびにも出さずに、
紅花が駆けつけた店主の親父やら従業員やらに抱えられて病院に連れて行かれるのを、私室に籠って仏頂面で見送りそうなものだった。
夜には仕事があるのだ。
それまでに体を休め、湯を浴び、仕度を整えねばならない。
これまで一度だって仕事に穴をあけたことのない玉露だ。
たかだか見習い小僧が失神したくらいで、襦袢一枚で表へ出るなど有り得ない。
尤も、さすがに親父の女房が見咎めたので、着物はきちんと着てから俥で後を追ったのであるが。
それでも鬢はほぐれたままだったし、顔はすっぴんのままだった。
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