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紅花は自身を捨てた親を憎くは思わない。
仕方がなかった、当然の報いだと、納得している。
嘆いていても詮無い事、現状を受け入れ、前向きに陰間修行に励んできた。
玉露のことは慕っている。
店主の親父も女房も嫌いではない。
生活の面倒をみてもらっているのだ、それが行く行くは春を売らせて金を儲けるためだとしても、恨む筋合いではない。
玉露を見ていれば、色を売る生業を汚いとか惨めだとか感じようはずもなく、
むしろ誇らしく、尊敬していて、いずれは彼に認めてもらえる立派な陰間になりたいとすら思う。
日々の暮らしに満足している。
けれど、それをそうだと、かつて家族と在った時よりも、今の方が満ち足りて幸せだなどと、
明確に意識するのは罪深く後ろめたいことのように感じられた。
それではまるで、自身が家族に捨てられたのではなく、自身が家族を切り捨てたかのようだ。
そうしていい道理はある。
そうせねば前を向けぬとも言える。
言えるけれども、それでいいと開き直ってはいけない気もした。
だから痛い。
シクシクと、ツキツキと、胸が痛む。
御免なさいと、訳もなく思う。
花や菓子箱で色とりどりになった部屋を見渡しながら、
言葉として自覚しないままそんなような思想に耽り、
紅花はぼんやりと手の中の秘密箱を弄んでいた。
どうせ暇だろうから、手慰みに何か玩具でも買ってやろうかと、
親切にもトキワが行ってくれた際、紅花は以前に彼から貰った小箱を思い出したのだった。
まだ開け方がわかっていない。
複雑で巧緻な仕掛けに頭を悩ますのが果たして頭を打った子供によいものかどうか、
少々トキワは気掛かりそうではあったが、玉露の部屋にある紅花の長持ちから、それを取って来てくれた。
例によって例の如く、来訪を前もって告げずに行ったことであろう。
いつものように軽口の応酬をしたに違いない。
玉露は最初の時以来、見舞いには来なかった。
ぶつくさ言いながら自分一人で仕度して夜毎客を取っているに違いない。
相手は占部か篠山か、或いは猪田か鳳ノ介か、それ以外の常連客か。
いずれにせよ、紅花が居ても居なくても彼の暮らしは大きく変わり映えしない。
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