五幕の一・色打掛

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確かに。 と、出かかった言葉を紅花は喉の奥に引っ込める。 正直なところ、本当に似合うと思えなかった。 あんまり豪華絢爛な衣装だから玉露が見劣りする、という訳ではない。 むしろ派手な衣装であればあるほど、着こなしてみせるだろう。 高価な逸品に呑まれるような男ではない。 そういうことではないのだ。 先の例えにもあったように、どこぞの姫君の婚礼の儀の装いとしても遜色のない色打掛である。 言い換えれば、娼妓の着物らしくないのだ。 見事な吉兆紋様に胸元に飾られた房はほんのりと薄桃色。 格式高くも清純さと可憐さに満ちている。 純潔の乙女にこそ相応しい『花嫁』のための衣装なのである。 アバズレとは言わないまでも、酸いも甘いも噛み分けた百戦錬磨の熟練陰間が着るにはちと真っ当過ぎる。 「でもまあ、いずれこういう日もあろうかと取っといたもんだしねぇ」 気のないそぶりをしながらも、玉露の口元は笑んでいた。 自身がそれを纏うのを喜んでいる、というふうではない。 喜ぶのは客である。 かつて贈ったこれ以上ないと思える一級品の色打掛を、 花嫁宜しく見事に纏って祝いの席に現れる玉露の姿をこそ、 喜寿の老爺は楽しみにしているのである。 そうした成長を見届けるために、老爺は玉露にそれを贈ったのだった。 初会の席のことである。 初会であったが、贈り物は用意されていた。 初会であったが、酒を嗜み食事に箸をつけ、言葉を交わし、身を交わした。 「水下げだったからね」 「え」 遠く過去を眺めてか、目を細めて打掛を眺めやる玉露の呟きに、紅花は振り返った。 癖のない禿(かむろ)髪の先が頬をぴしゃりと打つ。 「哥さんの仰る大恩って」 「ま、そういうことだよ。やだねえ、なんだか照れちまうよ」 そう言って玉露は恥じらい深い少女宜しく両手の平で頬を包むと、 わざとらしく身をよじってみせた。 ちっとも照れているように見えない。 が、かと言って何かを隠している様子でもない。 つまり、とうとう色売りに本格的に身を落とした夜の嘆きであるとか、悲しみであるとか、 そうした思いを隠し立てしてるふうでもなかった。 意外だ、と紅花は思う。 そういう記憶はもっと悲壮なものかと思っていた。 玉露にとっては違うようである。 少なくとも、水下げの折に贈った着物を成長した姿で見せてくれるのを楽しみにしている客に対し、 実際そうしてみせてやることを彼自身もまた楽しみにする程度には。 この男は心の底から陰間稼業を愉しんでいるのである。 だからだろう。 ふと、紅花は納得する。 それがつまり何に対する納得なのか、自身ではわからなかったけれども。
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