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その女房のそばへ駆けつけた親父も、満杯の客らも、掻き入れ時に普段より増員された従業員らも、
みな一様に店の表の方へと顔を向けて固まっている。
つられて視線を追った紅花もまた、元より大きな両目をますます大きく見開くなり、身を堅くした。
『甘味処 梅に鶯』と屋号の白抜きに染め抜かれた暖簾がかかり、
千客万来と開け放たれた入り口のすぐ内側に、
まるで呑気な秋風そよぐ風情とは無縁の光景が広がっていた。
潮である。
店主の親父と女房とがこさえた、どうしようもない一人息子だ。
その潮が幾人もの男どもに囲まれている
――のみならず、吊るし上げを食っている。
文字通り、首根っこ掴まれて吊るされているのである。
趣味の悪い柄物の洋装は薄汚れ、片方だけ脱げた革靴、
だらんと垂れた両手両足に、乱れた髪の間から覗く額や頬、
どこを見ても暴力の跡が見受けられた。
何せろくでなしの穀潰しであるから、どこぞで喧嘩など珍しくもないのであろうが、
こうも一方的にやられたうえに、ぞろぞろと徒党を組んだ輩に引きずられ、
店まで乗り込んで来られるなど初めてのことである。
あまりの光景に耐えかねたか、
店主の女房は息子を心配して駆け寄るどころか、へなへなと力なく店の床へとへたり込む。
代わりにようよう声を発したのは、亭主の方であった。
「お、お前さん方――」
「おう、おう、おう」
親父が何かを言いかけるのを遮って、見計らったように濁声が響き渡る。
無暗に大きく、品の欠片も備わっていない。
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