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「ケッ」
と誰かが鼻で笑った。
「おいおい、ここは娼家だったのかい。俺ぁ、てっきりテメエの親父さんかお袋さんにご挨拶させて貰えたもんだと思ってたんだがなあ」
甘味処で威勢をまいていた濁声とは別の、それより幾らかは風格のある低い声が言った。
どの男の言葉であるかは、背後に立った紅花の位置からはわからない。
男の声には明らかな侮蔑が含まれていた。
「娼妓に縋るたあ、随分いいご身分じゃねぇか。さぞかし貢いできたんだろう。ああん?」
せせら笑うような声が続く。
紅花は無性に腹が立った。
男どもの言葉はいずれも潮に向けたもので、玉露がやり玉に挙がっているわけではない。
けれども、これ以上なく彼が貶められているように感じられ、両側の頬がカッとしてくる。
今すぐこいつらをぶん殴って窓の外から投げ出してやりたい、とすら思えた。
しかし叶わぬ願いである。
そもそも紅花は男らの眼中にすら入れていなかった。
自身より何倍も巨きい背中が幾つも立ち塞がっているのを前に、少年はただ突っ立っているのみである。
せめて押し退けて玉露の元に駆け寄りたかったけれども、異様な雰囲気に気圧されていた。
廊下は妙に静まり返っている。
暑くも寒くもない時節、小遣い稼ぎの通い者どもやその客が幾人か居るはずだったが、
駆け上がってきた潮なり男らなりの風体を見て、関わり合わぬよう固く襖を閉ざすと決め込んだのであろう。
それだけ、見るからに物騒な連中なのだった。
紅花が臆すのも無理からぬ。
「娼妓に貢ぐ銭があんなら、俺らに払えねぇ道理はねぇなあ?」
嘲りの色を濃くしながら男が喋る。
醜く歪んだ口元が見えるようだ。
「しこたま借金こさえた挙句、逃げ回るってんならまだ話がわかる。
けどよ、賭場で如何様やって巻き上げた金で穴埋めしようってんじゃタチが悪ぃや。どっちの金も耳揃えて払って頂かねぇと。
それとも何か、殴る蹴るじゃまだわかんねぇで、千切りにでもされなきゃ空っぽのお頭にゃ響かねぇか」
面突き合わそうと腰を低くぐいと屈め、わざとらしく己れのこめかみの辺りを太短い指でトントンと指すのが、
居並ぶ背中の隙間から紅花の目に映った。
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