五幕の二・やくざな男

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その言葉を合図にしてか、別な男が古びた着物の懐に手を差し入れると、細長いものを取り出す。 離れた場所に居ながらも、紅花はそれを垣間見てすくみ上った。 取り出されたのは匕首(あいくち)である。 鍔のない小ぶりの刃物だ。 小ぶりではあるが、人を殺すに足る刀であるのに違いはない。 潮を締め上げたのは金貸しの筋モノだったのだろう。 ともすれば、潮が荒らしたという賭場も彼らのシマのうちだったのやもしれぬ。 どう転んでも蟻地獄。 ろくでなしとは前々から思っていたが、本当にろくでもない悪所に潮は足を踏み入れていたものらしい。 長々とした口上は脅しに他ならぬ。 「あ――」 (あに)さんは関係ない。 引き攣る喉を懸命に動かし、紅花がそう声を絞り出そうとした間際、 「ハハハハハッ」 乾いた笑い声が緊迫した空気を裂いた。 声を発しそびれた紅花は目を見開き、ドキドキと暴れる胸を抑えつつ奥を見やる。 玉露が高らかに笑っていた。 その紅を引かずとも赤く濡れた唇に、白く細い指先を添えている。 どこか芝居がかった仕草は、しかし艶っぽく、場にそぐわない色香を感じさせた。 「『千切り』って。『千切り』はないだろうよ、ねぇ」 あはははは、と尚も笑いながら玉露は、みっともなく腰の辺りに纏わりついている潮の腕を叩く。 「千人斬りとか八つ裂きとかなら聞いたことあるけどさ、千切りって、野菜じゃないんだから。あんた、洋食屋にでも売られんのかい。そりゃ甘味処よりハイカラで出世かもねえ」 クックと抑えきれない笑いに肩を揺らしつつ、玉露は言葉を続けた。 男どもが気色ばむ。 場の雰囲気が一変した。
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