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その言葉を合図にしてか、別な男が古びた着物の懐に手を差し入れると、細長いものを取り出す。
離れた場所に居ながらも、紅花はそれを垣間見てすくみ上った。
取り出されたのは匕首である。
鍔のない小ぶりの刃物だ。
小ぶりではあるが、人を殺すに足る刀であるのに違いはない。
潮を締め上げたのは金貸しの筋モノだったのだろう。
ともすれば、潮が荒らしたという賭場も彼らのシマのうちだったのやもしれぬ。
どう転んでも蟻地獄。
ろくでなしとは前々から思っていたが、本当にろくでもない悪所に潮は足を踏み入れていたものらしい。
長々とした口上は脅しに他ならぬ。
「あ――」
哥さんは関係ない。
引き攣る喉を懸命に動かし、紅花がそう声を絞り出そうとした間際、
「ハハハハハッ」
乾いた笑い声が緊迫した空気を裂いた。
声を発しそびれた紅花は目を見開き、ドキドキと暴れる胸を抑えつつ奥を見やる。
玉露が高らかに笑っていた。
その紅を引かずとも赤く濡れた唇に、白く細い指先を添えている。
どこか芝居がかった仕草は、しかし艶っぽく、場にそぐわない色香を感じさせた。
「『千切り』って。『千切り』はないだろうよ、ねぇ」
あはははは、と尚も笑いながら玉露は、みっともなく腰の辺りに纏わりついている潮の腕を叩く。
「千人斬りとか八つ裂きとかなら聞いたことあるけどさ、千切りって、野菜じゃないんだから。あんた、洋食屋にでも売られんのかい。そりゃ甘味処よりハイカラで出世かもねえ」
クックと抑えきれない笑いに肩を揺らしつつ、玉露は言葉を続けた。
男どもが気色ばむ。
場の雰囲気が一変した。
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