五幕の四・喜寿の祝宴

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玉露へ寄せた客らの期待に罪はない。 その落胆にも、悪意はない。 年甲斐もなくウキウキとして、慎みを忘れて自慢話を口にした八木三郎にも、何一つとして咎はない。 落ち度があったのはこちらなのである。 それも、 どうしようもなかった、他に為す術がなかった、と言えるほどの経緯ではない。 玉露の些か行き過ぎた気勝りが、 舞い込んだ災難をより取り返しのつかぬ事態にまで発展させたのは、悔しいかな事実である。 つまりは(ひとえ)に、玉露自身の責なのだ。 それでも、同情の余地はある。 玉露を知る者たちならば、あの場面で彼が引くに引けぬことを理解してもくれるだろう。 むしろ、悪たれどもを遣り込めるとは天晴(あっぱ)れと、賞賛しすらしてくれるやも知れぬ。 言い訳したい気持ちが紅花にはあった。 だが、してはならぬことは嫌と言うほど理解していた。 玉露はそんな不躾な真似をけして許しはしない。 不躾なだけではない、それは無粋で無様なことである。 ここで言い訳することは、客にがっかりされること以上に、彼の誇りを傷つける行為だ。 屈辱と言うならば、男の身で男に色を売ることほど恥辱に塗れたこともあるまい。 それを玉露はけらけらと笑って、大いに楽しんで暮らしているのだ。 ちょっとやそっとの失敗でへこたれる男ではない。 けれども、嘆きがないわけではないだろう。 老翁の期待に沿えなかったことを、誰より悲しんでいるのは玉露自身である。 それを、経験豊かな八木翁は、僅かのうちに汲み取ったらしかった。 無論、子細な事情など知りうるはずもない。 だが確かに、何かを感じ取ったには違いない。 元より細い目を更に細く、円弧を描く糸のようにして、こっくりと笑みを深めると、 老翁は枯れ枝のような腕を伸ばして、玉露をそっと招いた。 しずしずと絹ずれの音と共に、玉露が八木三郎の隣に迎え入れられる。 「美しうなった」 その言葉の響きの深さは、例えようもないものだった。
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